オオカミのとおぼえブログ

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0歳の記憶を持つ私が語る幼児期健忘について

 

突然ですが、皆さんの人生で最初の記憶とは何ですか?

 

そして、それはいくつの頃のものですか?

 

私には自分が生まれてから数か月ほどの頃の記憶がいくつか残っています。

 

しかし、普通はそのように、幼児期の記憶を持っている人は非常に少ないらしく、それらは、あまり一般的に語られる話題ではないようです。

 

なぜなら、人には「幼児期健忘」というものがあり、3歳以前の記憶は自然となくなってしまうからです。

 

では、なぜ幼児期の記憶はなくなってしまうのでしょうか。

 

これには色々な説があり、詳しい原因は分かっていないそうですが、主に「3歳前ではまだ海馬や前頭葉の発達が未熟なため、言葉として記憶にとどめることが困難」だからと言われています。

 

まだ日本語はおろか「言葉」そのものがわからない時期に起きた出来事を(視覚や嗅覚以外の情報)説明することは不可能だという意味ですよね。

 

確かにそれはそうです。確かにそれはそうなんですが、私はあの時なにをどう思ったのかを鮮明に覚えているので、あれは何を持って記憶していたのだろうと不思議でしかたがないのです。言葉でなければ、感情だったのか?いや、でも感情だけで説明がつくのか。自分でもよく分かりません。

 

また、幼児期の記憶が残る理由としてこんな例もあります。

 

ところが幼児期の記憶でもその後まで残るものもあります。
その典型が、幼児虐待に代表される継続的な身体苦痛を伴う経験だと言われています。

 

出典 日本語のチカラ: 幼児期健忘について 

 

虐待などの苦しい経験がトラウマとなって脳に埋め込まれてしまうというもの。よく人は喜びは忘れ、悲しみはずっと覚えていると言いますよね。愛されて満足しているほど記憶には残らないなんて声まであります。私も過去に幼少期のことを人に話したら「そんなに覚えているなんて何か辛いことがあったの?」と言われたことがあります。安心してください。もちろん、私は虐待など受けて育っていません。両親にも他人にも手をあげられたことはありません。むしろ大家族の中でわいわい育ちました。従って、この例は私が幼少期の記憶を残す理由として当てはまらないと考えます。

 

では、なぜ私には記憶が残っているのでしょう?

 

そこで今から私が記憶しているエピソードを数例ほど紹介しようと思います。これといって大した内容ではありませんが、ここを見て何かの役に立てる方がいたら・・という思いで綴っていきます。以下からどうぞご覧ください。

 

 

【目次】

 

Episode1 最初の記憶はベビーベッド

おそらく、これが私が持つ記憶の中で最も古いものであると思います。それは、生まれてまだ数か月もしているのか・・どうなのか分からないくらいの記憶なのですが、ベビーベッドに寝かされて、皆に話しかけられているというものです。

 

ベビーベッドの真上には、よくある(名前がわからない)あのぐるぐる回るおもちゃがぶら下がっていて、そこにはピンク色の飾りがついていたのを覚えています。私はこのメリーゴーランドみたいなおもちゃが回っているところを見るのが大好きだったのですが、なぜか普段は全く回っておらず、大人の気が向いたときにしか回してくれなかったため、とてもヤキモキしていた記憶があるのです。た~まに誰かが回してくれるのですが、私の顔がつまらなそうに見えるのか?すぐにスイッチを切り、いつもガラガラの方をすすめられたので、心の中で「そっちじゃない!」と思っていました。どうして皆、私がガラガラを好きだと思ったのでしょう。あれは音が鳴るだけだし、そんなに好きではなかったのです。そしてわりと早い段階でこのメリーゴーランドは撤収されてしまい、悲しかった記憶があります。

 

ちなみに、私は、このベビーベッドが置かれた部屋についても鮮明に覚えています。後に両親に確認したところ、記憶と一致していたので間違いではありません。私が寝かされていたベビーベッドは、当時なんと仏間にありました!えええ~という声が聞こえそうなので、少し説明させてくださいね。我が家には客間と仏間の間に襖があり、そこを開けるとひとつの部屋になるという昔ながらの和室があったのですが、私が生まれた頃は常に襖をオープンにしており、そこを一部屋として使っていたのです。(当時は両方客間のようにしていた)そして、客間には大きなテーブルがおいてあり、仏間には仏壇と掛け軸くらいしかおいていなかったため、ベビーベッドは仏間のエリアに配置されるかたちとなったそうなんです。しかし、私がベビーベッドを卒業したと同時に、その襖は閉められ、従来通り各部屋ごとに使用するようになったため、一部屋として扱われていた期間というものは極わずかでした。

 

と、そんな短期間の出来事なのですが、私はその部屋にいたこともはっきりと覚えています。ついでに言えば普段はずっとその部屋にいるのではなく、決められた時間にしかいなかったことも。夜は母と一緒に2階の寝室で寝ていましたし、それ以外は居間で過ごしていました。どういう時にベビーベッドで寝かせられていたのかは分かりませんが、私はベッドの横にある窓から見える緑色の葉っぱが好きでした。また、客間には洋間(姉のおもちゃ置き場)と繋がるガラス戸もあったのですが、時々そこも開けることがあって、そうすると姉が、いとこたちとおもちゃでワイワイ遊んで賑やかだったこともあり、尚更ベビーベッドの部屋が好きだった記憶があります。

 

面白いことに、私は小4くらいまで、上記の緑の葉っぱに心があると思っていました。ベビーベッドを撤収した後は、そこにオルガンを置いていたのですが、園芸にハマっていた祖父が「植物に音楽を聴かせると良く育つらしい」と謎のアドバイスをくれたので、よく窓を開けて演奏していたんですよね。懐かしい。そんなこともあって、何だかこの葉っぱちゃんが自分の成長を見てくれているような気がしていたのです。もしかしたら話せるんじゃないかと夢見ていた日もありました。やばいですね。

 

ついつい思い出して関係ないことまで書いてしまいましたが、一応これが最初の記憶です。続いて、第2のエピソードをご覧ください。

Episode2 時計

お次は、ハイハイもしない、まだおんぶされている頃の話。時期的には先ほどよりも少し成長しているとは思います。この頃、私は夕方になると祖母に散歩に連れて行ってもらっていました。毎日ではないのですが、天気の良い日に行っていた覚えがあります。私はこの散歩が楽しみで楽しみで仕方がありませんでした。あまりに行きたくて散歩に行く時間まで覚えたくらいです。ええ、自分でも赤ちゃんが時計を読めるなんて嘘だろうと疑いたくなります。ですが本当なんです!信じてください!

 

なぜ私が時計を理解できたのかというと、ちょうど散歩にいく前の時間くらいになると、私は居間に移動して寝かされていました。そして、その寝かされていた場所からは、ちょうど時計がバーンと見えるようになっていて(これは偶然です)私はいつも時計の針がチッチッと動くのを見ていたんですね。それである日気づいたんです。時計が3時になると祖母が散歩に行く支度を始めることを!もう私は散歩に連れていってもらう犬状態で喜んでいたので、もの凄く細かなことまで記憶に残っています。

 

散歩コースは家から近くのお宮まで。途中で近所のおばあさんに祖母がつかまると、ついつい話し込んでしまい、お宮まで行かない短めのコースで帰ってしまう!・・というところさえ覚えています!「ええ~もう帰るの~??」と衝撃だったのが忘れられません・・。家の近くには、真っ赤でデッカイ綺麗な夕日が見えるスポットがあったのですが(今は建物で見えなくなってしまいました)そこに行くと、いつも祖母が「ほ~ら真っ赤っかだ、綺麗だね~」と言っていました。「真っ赤っか」は何度も言っていましたね。全体的に毎日同じほぼセリフで「また同じことを言っている」と不思議に思っていましたが、そのせいか?言葉の意味が少しわかるようになったのだと思います。だから絶対に赤ちゃんでも言葉はなんとなくでも理解できていると思うんですよね。私みたいな凡人がわかったくらいなので、他の人ならもっとわかってたはず。ただ、幼児期健忘とやらで、言葉を理解していたことを忘れているだけなんじゃないかなぁと思うのですが、どうなんですかね?

 

そうそう、この散歩時間になると家にもオレンジ色の日が差し込んでくるので、そこから外の景色を想像したり、日の流れを感じたりもしましたね。とにかく外が好きでした。関係ありませんが、散歩ではいつもおんぶされていて、それが抱っこより安定していて気に入ってました。

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Episode3 とにかく泣かない

私は泣かない子でした。誕生の瞬間も「ギャ!」の一言で終わったらしいです。(安産でした)そして生まれてからも母親いわく「まったく泣かない手のかからない子」だったらしいです。そうでしょう。私も覚えていますから。というか赤ちゃんってそんなに泣くんですね、と後から知りました。用事があるときは泣けばよかったのか・・。

 

ミルクは常に一気飲みで時間がかからなく、食後はすぐ寝てくれるので、母は毎晩よだれを垂れして寝ていたんだとか。母がよだれを垂らしていたかどうかは覚えていませんが、確かに私は体内リズムがキッチリしていました。まず、ミルクは本当に一気飲みでした。決してミルクをケチられて飢えていたわけではありませんよ!単なる食欲旺盛な元気な子でした。皆が私にミルクをくれるとき、めちゃくちゃ「わぁ」と喜んでいました。後で親や親戚に聞いたところ、飲み干すスピードがはやくて面白かったらしいです。そして7時になるとお風呂に入ります。これも時計で確認していたので本当にそうです。私はお風呂も大好きだったので、毎晩とても楽しみにしていました。いつもは大体祖母が入れてくれたのですが、たまに父が早く帰宅すると父が入れてくれました。いつもと違う人がお風呂に入れていくれると、ワクワクして面白かったのを覚えています。

 

家は両親が共働きで、母もフルタイムで働いていたため、その間は祖父母に面倒をみてもらっていました。母は私がお風呂に上がるくらいになると、帰宅し、着替えをしてくれました。その後ミルクを飲んで8時になると、私を寝せに2階に連れていくのですが、ある日私が食後すぐに寝るからなのか、2階に連れていった後、「良い子だね~」と言って下に降りていったことがあったのです。しばらくすると私はもう爆睡しているので、その後の記憶はありませんが、次の日も同じように母は私を2階に連れて行くと、下に降りていきました。そんな日が続いたある日、いつものように母に話しかけられながら床についた私は「もしかして、またお母さん下にいっちゃうのかな?」と急に不安になりました。案の定、母はすぐに下にいってしまったのですが、いつもミルクを飲んだ後すぐに寝る私を「良い子だね~」といっていたので、泣くに泣けなかったのです。赤ちゃんにもこんな感情あるのですよ。驚きですよね。でも実際に体験した話なんで本当です。

 

これについてはネグレクトじゃないかー!!私はサイレントベイビーかー!と、大人になってから母に問い詰めたのですが「ごめん、てっきり寝ているかと思ってダッシュでごはん食べに行っていたわ~。あなた毎日食事に寝る時間にと、なんでもキッチリしていたからね~。こんな楽な子育てあるのか~って快適に過ごしてたの。」と言われました。※ちなみに2階の寝室には母がいなくなった後、姉や父が来てくれていたそうです(すぐに寝ていたからわからなかったけど) そんな軽くいうなよっ!っと突っ込みたくなりますが、母は姉が赤ちゃんのときに、それはそれは手を焼いたらしく、毎晩夜は眠れなかったそうで、ふたりめ(私)が生まれたときも覚悟をしていたのに、いざ育ててみると拍子抜けするほど何の問題もなかったため、リラックスしてしまったみたいです。

 

おいおい母よ・・という感じもしますが、愛情をかけられなかったわけではないので許しましょう。

Eepisode4 1~3歳までの記憶はより鮮明

最後にご紹介するのは、1~3歳までの記憶です。このくらいになると、もうほぼほぼ覚えています。2歳前くらいですかね~いつも祖父が「メイプルタウン」というアニメの歌を流してくれるのですが、そのテープは、姉のお古だったのもあり、しかも私自身はそのアニメの世代でもなく、見たこともなかったので、まるで興味がありませんでした。しかし祖父は私が喜ぶと思って毎日エンドレスでそのテープを流してくれたんですね。さらにそのテープには歌詞付きの絵本がついてきていて、うさぎさんだのなんだの動物の可愛らしい絵が描いてあったのですが、1ページだけ人相の悪いオオカミが載っていて、その絵がただでさえ不気味なのに、オオカミのパートの歌はもっと恐ろしくて、とても苦手でした。そのため私の中で「メイプルタウン」のあのオオカミの曲はいまだに忘れられないものとなっています。

 

あとは2歳の頃に母の会社の日帰り旅行に行った時、はじめての長旅に不安になり、バスの中で泣いたことと、その後いじけて記念写真で鼻をほじったことを覚えています。(なんてヤツ!)

 

その他にも、写真を見て思い出すことなんかも結構あります。今回は特に古い記憶を書いてまとめてみました。嘘のような話もありますが、すべて真実です。

おわりに

不思議なのは、赤ちゃんでも言葉は理解しているということ。ここでは、変なヤツだと思われそうなので、詳しい会話の内容は控えましたが、いやいや言葉は知ってたぞと思うのです。それとも私、前世で日本人だったから日本語知っているんですかね?(これに関してはそんな気がする)それともただの勘違い?・・うーん、それは違う。子どもの頃から「なんで人と違う経験があるんだろう」と真剣に悩んでいた時期があるくらいなので。

 

そもそも今回この「幼児期の記憶」について書こうと思ったきっかけは、「約束のネバーランド」という漫画を読んでいたら「幼児期健忘」というワードが出てきたからなんですよね。この本カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」に似すぎ。

 

登場人物のひとりに幼児期健忘がなかった子がいるのですが、その子は胎児のころの記憶から現在までの記憶を色濃く覚えていて、それを見て私は「人が幼児期の記憶を忘れる現象に名前があったんだ~」と思ったのです。むしろ知らない方が少数でしょうが、私は知りませんでした。(その程度の女)そこで、これってそんなに珍しいことなのだろうかと思い記事にしてみようと思ったのです。

 

まぁ私のこのエピソードだけを見ると単に「嫌な経験だけを覚えているんじゃない?」と思われそうですが、どちらかというと嫌な経験として記憶しているのではなくて、当時の会話と自分の心の中の声をまるごと記憶している感じなんです。だから楽しいことも嫌なことも覚えているのです。

 

なんでだろう・・私はIQが高いわけでもなく・・素晴らしい頭脳を持っているわけでもないのに・・もっと言えば暗記が得意なわけでもないのに。

 

ひとつだけ考えられるとしたら、母が「赤ちゃんの頃に色んな人に話しかけられると、言葉を覚えるのが早くなって、脳にも刺激になると聞いて声かけはかなりした」ということと「大家族で色々な年代、性別に囲まれて育つと色んな言葉を覚えていいらしいよ~」という刺激系の話です。私の母は教育ママというわけでは全くありませんが、「自分の意見をしっかり伝えられる子になってほしいから」という理由で、そこら辺には意識をしていたそうです。結果、少女時代は「ああいえば〇〇」というあだ名をつけられるくらい口達者になりましたがね。こんなことも記憶と関係しているのでしょうか。

 

あと、もうひとつありました!それは遺伝!私の甥っ子のうちひとりが胎児の頃の話をするんですよ。彼は双子なんですが、お腹の中にいた頃、片割れが蹴ってきたとか、大豆みたいだったとか言うんです!(何かいいたいこと分かる)もうひとりはそんなこと言わないんですけどね。

 

結局の記憶に関しての理由は分かりませんが、どなたかが謎を解明してくれるといいなと思います。人間の脳は未知ですね~。

 

大変長くなりましたが、そろそろここで終わりにしたいと思います。

 

全部目を通してくださった方はありがとうございました。

 

同じような方がいらしたら嬉しいです。

 

おわり

 

 

 

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文学白熱教室 カズオ・イシグロの世界

 

金木犀の香りが漂う季節になりました。世間はすっかり秋めき、何もない夜には大きな月明かりの下で読書なんかしたくなる今日この頃。毎晩「なにかしら読んでいるよ」「もっと深い話が読みたいなぁ」という方も多いのではないでしょうか。

 

そんな”読書の秋”真っ最中の現在、ある人物がノーベル文学賞を受賞したことで日本は賑わっています。その人物の名は、日系イギリス人のカズオ・イシグロ

 

今回はそんな話題沸騰中のカズオ・イシグロさんがNHKの番組「文学白熱教室」に出演した際の講演の様子をまとめたものをご紹介します。

 

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【目次】

 

なぜ小説を読みたいと思うのか、なぜ書きたいと思うのか

人はなぜエッセイや歴史書、または科学の本などの「事実」ではない不確かなものを求めるのでしょうか。それについてイシグロさんは以下のように語っています。

※かなり要約した内容になります

 

「私が小説家になった経緯は、その生い立ちにあります。5歳まで長崎で暮らし、日本語を話し、畳がある普通の日本家屋に住んでいました。そして5歳で渡英してからはずっと、いつか日本に帰国するものだと思って生きてきました。イギリスでは日本に関する本を読み漁り、両親から日本の話を聞くことで自分の中の”日本”を膨らませていたのです。」

 

しかし、その後イシグロさんが日本に帰国することはありませんでした。

 

「大人になるに連れて、記憶と共に日本が薄らいでいきました。そこで22歳の頃、自分の頭に描いた”日本”を書いてみることにしたのです。この時、私は現実の日本をリサーチする気もなく、自分で秘密裏に残していた個人的でかけがえのない”日本”を書き記したかった。それが、私が小説を書きだした動機でした。」

 

イシグロさんにとって小説とは、自分の中の記憶を安全に保存する方法だったと言います。子どもの頃の薄らいでいく記憶の保存。それがまさに、イシグロさんが小説家になったきっかけになりました。

普遍的なものを描く作家でありたい

イシグロさんのデビュー作「遠い山なみの光」は、そんな幼少期から抱く”想像の中にある日本”そのものでした。続く2作目の「浮世の画家」でも同じように”私の中の日本”を描きました。これらの作品は欧米でたくさん読まれ、イシグロさんも注目されました。しかし、当時日本はまだ現在のように世界に広く知られてはおらず、西洋人にとってカズオ・イシグロの小説は大変エキゾチックなものでした。そのため、イシグロさんが描いた”日本”は普遍的なものであったのにも関わらず、世間からは”リアルな日本人のマインド”だと誤解されてしまったのです。

 

「舞台を日本でないものにしても、読者は受け入れるのだろうか。」

 

そこでイシグロさんが書いたのが、後に映画化もされ有名になった3作目「日の名残り」です。

 

「舞台はイギリス。内容は”浮世の画家”とほぼ同じ、設定がイギリスというだけです。」

 

この作品でイシグロさんはブッカー賞をとり、小説家としての地位を手に入れます。

 

「上手くいったと思いました。舞台はどこでも認められる。」

 

しかしその一方で、いざジャンルも時代も舞台も自由に書けるとなると、どこに焦点を当てたらいいのか迷ってしまうという負担が出てくるようになりました。この悩みはここ20年ほどずっとつきまとっているそうです。それでも、イシグロさんが描きたいのは普遍的な世界であり、実際に経験したことよりも「感覚」を伝える作家でありたいことから、この感情や情景を自らで作り出せるフィクションに拘り、追い続けているそうです。

小説の価値

「小説の価値は表面にあるわけではありません。歴史書の時代を変えてもいいとしたら、おかしくなるし、それは許されないことです。しかし、小説ではそれは可能です。小説の価値はもっと奥深いところにあるのです。どの時代に設定したらストーリーが最も生きるのか。例えば”わたしを離さないで”は舞台を3回も変えました。小説の中は自分たちのことと似ています。歴史上の出来事とは違っていても、倫理上の繋がりは同じです。」

 

人はそれがフィクションだと分かっていても、それを求めます。よく大河ドラマなどで史実に基づいた内容であるから興味深いと視聴する人も、どこかで求めているのは登場人物の魅力的である内面だったり「こういう人であってほしい」「こういう流れであってほしい」という理想や願望です。そしてそれらを、吸収し、自らのマインドに重ね満足しています。フィクションとは、異なる世界をつくることで、この世界に入ることで私たちは様々なことを思い起こすのです。

 

「実生活の中で生まれる多くは、すべて創造から生まれたことです。多くの文明の力は、まずは創造から来ていて、私たちはどこかで異なる世界へ行ってみたいと思っています。現実とは違っていていい。こんなことができるのはフィクションだけ。人はフィクションを必要としているのです。」

 

つまり人が無意識にフィクションを求めるのは「本能」なのでしょうね。こうして誰かの話を聞いたり、自分で文を書いたりするのも欲求であり、生きる力だとも言えます。

記憶を通じて語る

「フィクションで使われる方法のひとつに”記憶を通じて語る”という手法があります。これはテレビドラマや映画では使えない、紙の上でしか描くことのできないものです。読者も小説を読まないとコレを体験できません。」

 

イシグロさんは、小説は筋書きや時系列に固執せずに、語り手の内なる考えや関係性を表せることが魅力だと言います。例えばジャーナリストが信頼できないことを伝えたら大問題になりますが、それが小説であればフィクションであるほど面白くなると言います。これはイシグロさんが先ほどもお話されましたが、具体的に説明すると、小説で「信頼できないこと」は良いツールになるということです。イシグロさんいわく、人間の記憶とは不愉快なものを消したり、良いことは誇張したりと、歪められたものであるそうです。この場合自分はどう思うだろうか、どうあればいいか、そこからわき上がる想像でストーリーは生まれてくるのが小説であり、フィクションこそが小説の進行役となるのです。

フィクションの中にある真実を求める

「価値ある小説には何らかの”真実”があります。私はその真実を伝えるために物語を作っています。真実とは現実の事象とは違っても、人間として感じるものにあります。事実では伝えられないことを表すのが小説なのです。」

 

人はフィクションの世界だけを求めているわけではありません。その異世界の中に見える真実を探し求めているのです。再び例を出して考えます。テーマが飢饉の時代とすると、ノンフィクションでは実際の状況(いつ・どこで・何が起こった)を伝えることはできますが、そこで誰がどう苦しんだのかを伝えるについては、その記録だけでは不十分です。そう、事実だけでは人々が「どう感じたか」を伝えることができないのです。しかし小説は違います。人々の知りたい欲求にこたえることが可能なのです。なぜなら、フィクションの中でもリアルな登場人物の訴えに心を動かせれ、共感することができるからです。

共感こそがすべて

イシグロさんは小説に娯楽以上の価値があると言います。

 

「私は小説で心情を伝えたい。私の気持ちを理解してくれるのか、この点を最も大切にしています。」

 

イシグロさんが小説に求めること、そして読者が小説にもとめること、それは共感イコール分かち合うことにあります。人は自分のおもいを共有したい、誰かと繋がりたい、安心したい、それを叶えてくれる材料が「小説」であり「フィクションの世界」なのでしょう。やはりすべては私たち人間の「本能」からきているのですね。

おわりに

とても面白いお話をたくさん聞けた講演でした。特に興味深かったのは「人間の記憶は歪められている」という点ですね。確かに私も何か物語を書くとしたら、記憶の通りストレートには描かないだろうと思います。当たり前の現実なんてものには、嫌気がさして別世界を求めるのですから、本の中では違うストーリーがあっていいじゃないかと、そこで新しい体験をした気持ちになってみようではないかと感じるでしょう。または、気になったまま終わってしまった過去や、叶わない理想、幼い頃の記憶、夢の中の続きなどは妄想の世界でしか完結できないので、それらを完結へと結び付けるにはやはりフィクションが必要ですね。社会的な題材もただ、現実だけを提示されても共感はできませんが、そこにいくつもの仕掛けを加えるだけで、もの凄く共感できるのだと思います。

 

私は博識でも、もの凄い読書家でもないので難しいことはまとめられませんが、この講演を見て感じたことを一言で表すなら「良かった。私だけではない。」です。

 

人間は少なからず空想をして、それを表には出さずとも都合よく脳内で処理をし、自分が安心できる情報を集め、刺激を得る。小さな記憶でも、鮮明でなくても、大切に残しておきたい感情もある。そんな秘密の宝を持つ人たちが他にもいて、同じものを分かち合いたいと思っているのかと思うと、何だかとても嬉しかったです。そして、こう思う時点で私はすでに他人に共感していますし、きっと知らない誰かにもこの出来事を共感してもらえたら、より嬉しいのだと思います。頭で考えることではなく、心で感じる「感覚」を共有できるから夢があるのでしょうね。

 

私もまだ出会ったことのない秘密の共有者と、思いっきり共感する人生を送りたいな、と感じた時間でした。

 

以上でおわりになります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

 

2015.7.17 放送 NHKEテレ)「文学白熱教室」

 

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ジャパンオープン2017~女の熱い戦い~

 

2017年10月7日に開催された「木下グループカップ フィギュアスケート ジャパンオープン」の感想になります。

 

今回、注目したのは、日本の三原舞依選手・本田真凜選手、そしてロシアのエフゲニア・メドベージェワ選手・アリーナ・ザギトワ選手です。さっそく、ひとりひとりの演技についてをファン目線で自由に語っていきたいと思います!

 

 

【目次】

 

三原のフリーはスルメになる

「ね?言ったでしょ?プログラム変更なんてしなくてもいいって。」

 

ジャパンオープンでの三原選手の素晴らしい滑りを見て、私はドヤ顔でそう思いました。フリーはショートよりも三原選手の雰囲気に合っている!そう確信していたので、後は物足りない表現力を補えば絶対に輝くはず!これは時をかけてじわじわと磨かれ、良さが分かってくるスルメのようなプログラムなんだー!!、と思っていたのです。それがこんなに早く全体に伝わって嬉しい!この記事を書いたらもう一度ピリートしにいこうと思えるほどの出来栄えでした。

 

フリーのスコアは147.83点(TES77.25 PCS70.58)という、やや高めの奮発したものではありましたが、TESが77.25点で、何とあのメドベージェワ選手(77.03点)よりも高いのですから、この先は今以上に闘志を燃やし、そこに自信も合わせてライバルたちにに挑んでいけるのではないでしょうか。特に3Sの両手タノジャンプは良質でしたし、インパクトがありました。ステップでも今までになかった情感溢れる動きが見られ、課題だった腕の使い方にも意識し、少しずつ改善を図っているようでした。やはりオータムクラシック後に振付師のデビッド・ウィルソン氏から厳しいダメ出しと、指導をしていただいたことがポツポツと生かされつつあるのだと思います。まさにスルメプログラム!腕以外の上半身の処理の仕方にも気持ちが乗ってくるようになると、よりシルエットが美しくなり、心のこもった演技に化けてくるでしょうね。完成が待ち遠しいです!


問題はショート。ショートでいかに他の選手に近づけるかです。正直、苦しいかなという気持ちはありますが、修正を重ねて食らいついていってほしいです。もし、三原選手が代表に選ばれた場合、表現専属の人材を確保し、サポートに入ってくれると心強いのですが・・。その辺はいかがでしょう?今大会の結果からしても、日本スケート連盟は三原選手に期待していると見たので、ぜひとも強化の手助けをしてあげてください!

ビジュアル担当の本田は客寄せパンダ?

本田選手はシニア転向後、思ったように成績が伸びずにやや残念な空気になってきました。フリーの方も今までショーと試合とで数回観て、既に飽き感が出てしまっているのも私だけでしょうか。お披露目する度に質が下がっているような気がします・・。何よりジャンプの低さが目立ちます。

 

本田選手は結局「客寄せパンダ」だったのか?と、心配になってきました。世界ジュニアで優勝してから今までのメディア露出が歴代最高級でしたし、どの試合に出ても他の選手を差し置いて「マリンちゃん、マリンちゃん」と凄かったので、私はてっきり連盟は”本田真凜”を押しているのかと思っていました。ですがここ2試合の評価を見ると、むしろ、この過剰なメディア露出は、本命選手たちの風よけにしかなっていないのでは?と感じます。トリノの安藤さん的な立ち位置とも違う・・何というかマスコミも成績よりもカワイイかどうか、一般層に受けるかどうかで「人気があって話題になればいいから」という勝負を消し去ったタレント的扱いになっているのではないでしょうか。

 

これは非常にもったいないです。確かにジュニア時代の成績だけで、あのように期待するのは早すぎますが、それでも本田選手はシニアでもう少し勝負できるスケーターになっていると1年前は思っていました。まだまだトップ選手にはなれなくても、トップ選手が崩れた時に逆転ありくらいまではイケるかな~と想像していたので、今季の空回り感は見ていて辛いです。

 

しかし、シニア1年目。今はまだジャンプ構成などを見ても試行錯誤しているのが分かります。ここから授かる多くの経験を通して「これがシニアの本田だ!」という持ち味が出てくることを信じたいです。本田選手は日本女子の中でも、1番素質のあるスケーターだと思っているので、覚醒してほしなと思います。でも、シニアでステップレベル2というのは、さすがにきついので、どうにか頑張ってほしいですね。(ラストの時間を持て余してた部分は振付が足されて良くなっていました)

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女王メドベージェワの審美眼

絶対女王のメドベージェワは圧巻の演技で152.08点をマーク、前大会と同様ルッツにエッジ違反があったものの、その他のジャンプは質が高く、昨シーズンよりも出来栄えが良くすら見えました。

 

私がネペラ杯でボロクソ言ってしまい申し訳なかったフリーのプログラムですが、ジャパンオープンではショーナンバーで使用していた「アンナ・カレーニナ」に変更して挑んでいました。詳しい情報が(ロシア語読めない)分からないのですが、これはプログラムの変更とみていいのでしょうか。だとしたら嬉しいです。さすが、女王わかってる!という感じ。

 

だって、「アンナ・カレーニナ」を観た時から「え?なんでコレを競技で使わないの?」とじれったく思っていましたから。メドベージェワ選手はここ最近マニアックな路線にいきすぎて、正直(音楽的にも)良くわからないプログラムが続いていたので、こういう分かりやすい題材をテーマにしたプログラムの方がオリンピックには適してるともどかしかったのです!!案の定、このプログラムは映画のワンシーンのようで、スケートファン以外がみても「素晴らしい」と納得できると思うし、何より似合っているのが戦略として正しいですよね。日本人が演じる蝶々夫人もこんな風に外国人には見えているのかしら~?なんて思いました。

 

そして、「やはり計画通りだったな」と感じたのは、ピークを本番へと向けて調節しているなということ。ここが本気でおそろしあ。明らかにネペラとは違う滑りでした。はぁぁここからさらに本気出してきたら、敵わないではないか~!と、もう一度おそろしあ。それでも隙があるとしたら、フリーがまだ競技用に作った即席感ある仕上がりだったという点と、ルッツ!ですかね。いくらでも乗り越えてきそうですが、隙が見えないよりは望みがあるでしょう!レッツポジティブ!

ザギトワに感じる未来

シニアに参戦してから順調な滑り出しのザギトワ選手。今回は演技前半部分を丁寧に滑っていたのが好印象でした。ロシアは思うようにスコアが伸びなかった部分を徹底的に研究しているな、と感じた瞬間でしたね。日本はココについていかないと勝てません。幸い三原・樋口の両選手はそこら辺の対応はきちんと処理できていると思います。

 

フリーは145.28点(TES79.21 PCS66.07)で、TESは断トツの高さ、ここでまず敵はいないでしょう。さらにPCSもメキメキと評価を上げてきています。ザギトワ選手はタノジャンプのフォームもメドベージェワ選手より長けていますし、まだ若いのに「勢い」だけで戦おうとしていない着実さが見えてきて楽しみな選手です。リスクを負いつつもジャンプを後半に固めるのは、それだけしないと自分が勝てないことを分かってやっているんですよね。自身の表現面での未熟さを補うための作戦です。このまま評価を重ねてPCSが上がってきたら、もう少し楽に戦えるかもしれません。しかし本田選手とはPCSでもすっかり差を広げましたね・・。トホホ。

ここからは短期決戦

女の戦いは凄すぎる・・。ジャパンオープンは日本人に甘く点が出ていて国際試合の参考にはなりませんが、今シーズンの女子の気迫は半端ないです。どの選手もライバルの試合を入念にチェックし、追い越されないように、低評価な要素には素早く対応しています。ダメ出をしくらっても這い上がってくるので、短期間でどんどん上達していきますし、12月で代表を決めるのが早いとさえ思えてきました。

 

しかし泣いても笑っても、ここから短期決戦で枠とりに向かわなければなりません。どれだけ力を出せるか、精度をあげるかが勝負。もう、あれこれと作戦を練り直す時期は過ぎ、戦いの場に挑む時間です。

 

日本としては面白くなってきましたね。樋口がザギトワに負けたと思ったら、三原がザギトワに勝ったり・・。オズモンドとメドベージェワの差が迫りつつあると思ったら、その後ろに安定感を手に入れたロシアや日本の若手が「ミスは命取りよ」と隙を狙える位置にまで来た。ジャパンオープンはフリーだけなので総合的な結果と比較するのとは話が違いますが、ここに各選手の今シーズンのショートの演技を重ねてみると、ロシアと接戦に持ち込めるくらいにまで日本はイケるのではないかと思います。もちろんミスがなければですが。

 

三原選手のショートは、もう少し先にならないと答えが出ませんが、三原・樋口コンビが安定の活躍を見せたら盛り上がってきますよね!そこに宮原選手が大復活を遂げて割り込んでくれれば最高なのだけれど・・。

 

戦うにはあまりにも短すぎるような、そのくらいがちょうどいいのか・・よく分からない全日本までの時間ですが、「オリンピックにいくため」の熱意より「オリンピックでメダルを狙う」熱意と覚悟を持った選手に神様はロックオンしてくれるのではないでしょうか。選手達が決して枠とりで燃え尽きないように、こちらも注目し、応援していかなければ!今はオリンピックがすべてになっている選手が(仕方ないですがね)多いと思いますが、「自分の持てるすべてを出し切ろう」と頑張っていってほしいです。

 

以上でおわりになります。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

補足

本田選手は新ショートの作成で、フリーに練習をさく時間がなかったのかもしれませんね。辛口になってしまったのでリカバリしておきます。でもね、本田家はサラちゃんといい、芸能界にどっぷり浸かってせっかくの才能が生かしきれなくなりそうで、ファンとしては不安なんですよ。(また余計なことをいったのでMs.オオカミに-1)

 

記事を大幅に編集しました 

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トップダウンペナルティ?ブログが終了した話

 

本日は本来のブログの主旨とは全く関係のない内容というか・・ひとり言です。

まさしく「オオカミのとおぼえ」ってヤツです。

 

 

あまりにも辛く心が折れそうになったので、ここに1週間分の想いを綴らせていただきます。

 

 

 

それは突然の出来事だった

このブログを本格的にスタートさせたのは昨年の12月。ブログをはじめてから3か月間は、ほぼ毎日更新をしてアクセス数も4万PV~くらいにまで伸びました。しかし、ひょんなことから数か月ほどおサボりをしてしまい、今年8月頃にはアクセス数も1万PV台まで下がってしまったため、先月から少しずつ復帰し、「ようやく2万PVまで戻りそうだ~」という目前、なんと急にアクセス数がガッツリ下がってしまったのです。

 

月の中ごろには調子が良いと1日1000PV台まで上がったものの、9月27日前後からややアクセスの動きが不安定になり、28日以降には最近見たことのなかった数値にまで下がってしまいました。突然の出来事に驚いた私は何が起きたのかわからず、とにかく記事を増やそうと1日に2記事書いたり無駄な努力を施しました。

 

 

アルゴリズムの変更による影響か

日に日に落ちていくアクセス・・お昼になっても100PVちょっとしかありません。「このままいくと1週間後には0PVになるのではないか?!」と焦った私は、ネットで原因を探ろうと色々と検索する旅にでました。

 

アルゴリズムだか何だかの変更で記事の価値が下がったのではないかと睨み、まず、グーグルアナリティクスで、どの記事が読まれなくなり、どこからアクセスが減ったのかを見てみることに。すると、ブログトップページへのアクセスのみが異常に減っていることに気づきます。さらに元から検索流入からしかお客さんがいないブログなのにグーグルからのアクセスも減っていたのです。

 

これは・・一体??と思った私は、グーグルトップページにいき、「site:~自分のドメイン」で自分のブログがネット上にきちんと表示されるかを調べました。

 

結果、それはありました。上位に載っていたので大丈夫そうです。次に「このブログのタイトル」を検索してみました。

 

結果、「ない・・!!」ありません。記事は載っているのですが、トップページがどこにもないのです。なんで。なんで。なんで~!!!

 

最近はこのトップページからのアクセスが多くなっていたので、めちゃくちゃ不安になってきました。いかん・・いかんぞ。原因を探らねば!何かペナルティでもくらってしまったのだろうか。そこで急いでウェブマスターツールに確認しにいきましたが、何も通知は届いていません。そもそもここでは手動によるペナルティしか知ることができません。「お知らせがなく、ペナルティをくらっているということは自動ペナルティなのか?!」それだったらもう終わりです。趣味でブログなんぞをはじめた私には、それらを解除させる技術など持ち合わせておりません。お・・終わった・・・。そう思った瞬間でした。

 

 

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蘇るブログとの思い出たち

それからは、短い間でしたがここでのブログ生活が走馬灯のように頭の中を駆け巡りました。開設当初は完全なる趣味の域で、好きなことしか書いていなかったのに、いつの間にか(今は閉じているけれど)コメントを頂いたり、他のSNSでシェアして頂いたり、知らぬ間にリンクして頂いていたり・・こんなにこのブログが誰かに反応して頂けるとは思っていなかったので、途中からはこれでも結構頑張って書いていました。このまま終わってしまうのか、もったいないな~。大変だったのにな。今までの時間がなんか悔しい!!、と思うと、とてもとてもやり切れない気持ちになりました。

 

こういうのって、膨大なアクセスを誇るプロブロガーだからとか、弱小ブロガーだとか関係なしに「ブログへの愛」があるからこそペナルティをくらうのは辛いんだなぁとしみじみ感じましたね。なんの思い入れもなかったら新しいブログを作ればいいだけですから。今のブログを続けたいからこそ悲しいのです。

 

 

奮起する

諦めきれない私は「トップページ」が消えた原因を突き止め、解除するべく、さらなる調査を開始しました。(1日に何度もお世話になったサイトもあります。ありがとうございました。)そんな中、TDPトップページダウンペナルティなる存在を発見。名前の通り、もろもろの理由でトップページの順位が大幅に下落してしまうことらしいです。記事自体は生き残っているのに、トップページだけ行方不明な点からしても、私のブログはこのTDPに違いありません。

 

ただ、それでもなぜペナルティをくらったかの理由はわからないままです。ペンギンやパンダも調べてみましたが、それらは問題ありませんでした。もう意味が分かりません。

 

急激に記事を増減させることや、修正することも影響するようですが・・それは多分関係ないと思います・・。久しぶりに更新しただけでそんなのあり得ないですよね。最近書いた記事が悪いのかと思いましたが・・全部消すのも気が引けるしなぁ。(北朝鮮の記事がヤバかったのかと真剣に思った)中身のない薄い記事だから嫌われちゃったのかな?確かに同じキーワードがたくさんあったかもしれない。

 

まぁ結論を申し上げるとTDP事件の真相は、「わからなかった」です。私の知識では解除は無理なので泣く泣くブログとおさらばするしかないパターン。ううっ。わけもわからずアレコレいじって逆にサイトの評価を落とすのも良くないので、とりあえず誘導ページで偏っていたリンクだけ外してブログには手をつけないことにしました。

 

 

あやしいリンク

実はひとつ気になっているのが、少し前から海外のサイトから大量・・というほどではありませんが、結構な数の被リンクがあって、これも悪影響なのかなぁと思ったり・・。某魚拓サイトからのものらしいですが、ゴルフに行った日記とか高級ホテルの写真とか、どこかの大学のサイトとかが載っているんです。しかし変なやつなら通知が来るだろうし、こういう処理をしたことがないので悩みます。

 

それと同時に今回の騒動の中、私のブログを紹介してくださってくれた方々がいたことを知り、悪いことばかりではないのだなぁとも思いました。こんなことがなかったら私、リンクの状態など調べることはなかったです。無知すぎて反省しました。

 

昨日はこんなことを、ずっと調べてモンモンとしていたわけですが、夕食を終えて、はてなアクセス解析を見てみると・・・

 

 

復活したトップページ

なんと18:30くらいには約200PVしかなかったアクセス数が19:00には300PVに迫る勢いになっているではありませんか!いつもこの時間帯だと1時間で5PVとかしかなかったのに、40PVとかに回復していたのです!それから夜まで順調に伸びて最終的には500PV台に届き、「少しだけ復活しつつある??」と希望が見え始めます。

 

ちなみに日付をこえた後もアクセスはあったのですが(最近はなかった)、なぜか今週のPVの欄だけ数字が動き、今日の部分が0のままストップしていたので、グーグルアナリティクスの方で確認するとリアルタイムでもちゃんと人の動きがあって、ブログトップからのアクセスも増えていたんです!感動!しかもグーグルから恐るおそる検索したらブログトップページが上位に復活していました。やったー!さらに、ここではリンクをしていないツイッターアカウントまでバレて?いつの間にか1ページ目に載っているではないか!あれはそんな使っていないから別にいいんだけど。

 

これで安心快適ライフだぁぁぁぁ!!!ありがとう神様。これは早めの誕生日プレゼントね。と思ったのもつかの間、朝になったらびっくり!!!

 

60PVくらいしかないじゃん・・・・・

 

 

質の悪いサイトということでOK

あれ?結局、トップページどうのこうのではなく、復活してもコレじゃぁただ単にアルゴリズムの波にのまれた質の悪いサイトってこと?に至ります。日本語おかしいし?旬の過ぎた古い記事が多いですもんね。やはりサボっていた期間が大きかったのかなと思いました。

 

正直、ペナルティでなければいいです。ペナルティでブログが消えなければ頑張ってマトモな記事を増やせばいいだけ。私の場合、記事にタイトルをつけるセンスが絶望的になく、語彙力も乏しいため同じワードを1記事に詰め込みすぎるのがいけませんよね。わざとやっているのではなく、ナチュラルなところが困ります。似たり寄ったりな内容を世に放ってグーグルに迷惑かけないようにしなければ。

 

しかし、あまりのアクセスの落ちぶれっぷりに戸惑いを隠せません。こんな時、はてなからの集客って大切なんだなぁと思いました。はてなでは、ブログのことを書くブログが主流で、営業ブロガーがたくさんいて、意識高すぎて場違いだったな・・という迷いがあってか「書くだけの場所」になっていて上手く利用していませんでした。

 

しかし、色々な場所で読まれるブログというのは力が凄い。ちょっとやそっとのことでは動じない。私ももっと根元を太くしないといけませんね。

 

今後、どんな制裁をくらうかは分かりませんが、びくびくしながら様子見します。ただペナルティを受けたことに変わりはないので、勉強してやれるところまでやってみてダメだったらどうしようもないけど潔く終了するしかないですね。

 

ブログって難しい!

 

わざわざここのブログに直接きてくださる方には感謝です。

 

おわり

フィギュアスケート五輪団体戦がいらない理由

 

2014年のソチ五輪で初めて冬季五輪種目として実施されたフィギュアスケート団体戦

 

各国の男女シングル、アイスダンス、ペアの選手たちの総合得点を争うという、個人競技を無理やり団体戦化にした謎の種目が2018年冬季ピョンチャン五輪でも行われることになり、日本も出場がほぼ決定しました。

 

しかし私はここで言いたい「そんなものやらんでいい」と。

 

楽しみにしている選手もいる中、大変申し訳ないことをほざいているのは承知しているのですが、どうも正式種目としては納得がいかない・・やっつけ感があるのです。

 

そこで、今回はなぜ私が団体戦反対派なのかについて2つの理由を好き勝手に述べさせていただこうかと思います。

 

小心者なので先に言っておきます。賛成派の皆さんごめんなさい。

 

 

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選手に負担がかかるから!

反対意見の9割を占めるのがコレ。選手の負担になるからということ。だって個人戦の前にやるんですよ?(せめて後じゃダメなの?なんなの?)

選手達は短い期間でピークを2回もつくらないといけませんし、自分が滑らない日は寒い中、カメラに晒されながら応援席でずっと待機していなければなりません。

 

そこでちょっと、五輪の日程を見てみましょう。

(赤色が団体戦の日程です)

 

 

2月8日 開幕

  団体戦

   9日 男子SP・ペアSP

  11日 女子SP・アイスダンスSD・ペアフリー

  12日 男女FS・アイスダンスFD

  14日 ペアSP

  15日 ペアフリー

  16日 男子SP

  17日 男子FS

  19日 アイスダンスSD

  20日 アイスダンスFD

  21日 女子SP

  23日 女子FS

 

 

男子シングルのフリーを滑る人がかわいそうではありませんか!休む日がほとんどない!日本の場合、勝っても負けてもマスコミにフィギュア勢は追われること間違いなしなんだから、大切な個人戦の前にメンタルにも余計な雑念を入れてほしくありません~。でも無理なんだろうな。騒がれるのは免れない。その注目もありがたいと思うしかない。とにかくココでけがだけはしないことを祈ります。

 

男子は3人いる中、ショートとフリーで選手交代をするとしても残りひとりは温存できますが、女子は2枠のため、代表に選ばれた選手は必ずどちらも出場するでしょうし、誰一人温存できないという展開・・。男子も羽生くんは絶対出場コースだろうな。

 

ソチのリプニツカヤ団体戦こそ好調でしたが、やはりあそこで力つきちゃった感がありました。タラレバは嫌いだけど、アレがなかったら個人でメダルとっただろうな~。何気にソチの女子メダリストのうち2人は個人戦のみに打ち込めた選手でしたし・・・。オーマイガー!!!

 

 

 

競技として不十分では?

そもそも争う前に、出場できる国がごく少数に限られているので、優勝する国も決まっているような状態。というか特定の国のためにあるような存在。(ラップっぽい)

 

先ほども言いましたが、もともと個人競技なのを合計点にすることによって、団体種目にしただけなので、それなら個人戦で出したスコアを各国別に集計して順位をつけてもいいのではないかい?と思うのですよ。わざわざ同じことを繰り返す意味はないというか、個人戦での新鮮さが薄まるというか。シーズン終盤という中でプログラムにも飽きが来る時に連戦は避けたいところです。

 

体操みたいに床とかあん馬とか細かくジャンルが分かれていればいいのに・・と思います。スピン部門、ジャンプ部門、リフト部門などなど。地味ですがコンパルソリーとか。時間かかりすぎてダメか。「あ、スピン部門はロシアの〇〇さんが1番良かったからロシアに10点ね~」とか、ひとりずつ3Tからジャンプ跳んでいってミスした人から脱落していくやつで「宇野さんが4Fまで成功したから日本に10点ね~」とか。うん、そんなルール不可能、無理ですね。

 

でも、せめて個人戦の後に団体戦してほしんですよ。それでは個人戦が盛り上がらないのかもしれませんが、順番的にはそうしてほしい。その方が「個人では果たせなかった夢をここで!」とファイヤーする選手がいそうじゃありません?テレビ的にも合格でしょ!

 

 

 

盛り上げるためには必要なこと

それでも夏季より不人気な冬季五輪を何としてでも盛り上げるには、こういうイベントも必要なのさ、っという大人な意見ってやつも少しは理解はしようとしています。

 

盛り上がればいいけどね・・。

 

私もフィギュアスケート好きとしては、たくさん選手の演技を(しかも五輪の舞台で)拝めることは嬉しいのですが、負担を考えると複雑で・・でもやっていれば絶対観たいという感じ。

 

もっといえば、かなりドリーミンですが、各国の代表枠を増やして個人戦に出る選手と団体戦に出る選手を分けられたらいいよねって思います。出たい人は両方でればいいし。ふふふ。ロシア日本アメリカならできるだろう(ニヤリ)

 

もちろんそんな都合のいいルールにはできませんが、それだったら心配なくていいな。

 

 

 

プラスになることもある?

あとはですね、団体戦を通して思うのは、いつも「日本のペアやアイスダンスも育つといいなー。」ということです。日本はフィギュア強豪国なんて言われてますけど、総合力ではまだまだですもんね。世間一般もスケートといったらシングルの選手の名前しか知らないだろうし、こうして五輪の舞台で団体戦を行うことによって、ペアやアイスダンスの魅力も知ってもらえるならラッキーですよね。おっさんたちが「日本も外国みてーにカップル競技も育成せねばならん!」とか騒げば認知度上がるだろうし。これもいい機会だと思って温かく見守りましょうかね。

 

 

 

 

さいごに

あまり強気にはいけませんでしたが、こんな理由から団体戦にノーを出しているというお話でした。私みたいなヤツが選手でキャプテンだったら「メダルがとれるかどうか微妙なところだから、張り切りすぎず、いい感じに手を抜いていこう!」とか言ってグダグダになりそうですが、日本代表はそんなダメダメ人間と違って団体も個人もメダルをとる!!!!と燃えて挑んでくるだろうから、尊敬×10しながら応援しなきゃですね。

 

私の心配という名のおせっかいなど、塵になったと笑える結果になるといいな。

 

 

本日もくだらない投稿を読んでいただきありがとうございました。

 

 

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【小3】自学ノートを攻略本にしよう【国語】

 

こんにちは。

 

 

本日は小学校3年生用の自主学習(国語)ノートの作り方について説明したいと思います。

 

 

ちなみに前回の算数編はこちらから

 

goldenretrievers.hatenablog.com

 

 

この記事で扱うノートのサイズや、教科書などは各学校の指定によっては違うかもしれませんが、少しでも皆さんの参考になれば幸いです。

 ※ここではcampus 6号 179×252ノート・教科書は光村図書「国語三上わかば」を扱っています

 

それでは、短いですが、さっそくご紹介します。

 

 

目次

 

何をすればいいの?

まず、はじめに「自学で国語って何をすればいいの?」「国語は書くことが多くて疲れるから、いつも算数の計算問題ばかりしてしまう」「漢字練習は漢字練習ノートにするから自学では国語って何をしたらいいの?」という方たちへ。

 

それはズバリ簡単。国語の自学は自分だけの、世界でひとつだけの「攻略本」にしてしまえばいいのです!「攻略本」とはなんぞや?!といいますと、自分のわからないところ、まちがえやすいところ、興味のあることをピックアップして、それを自由にまとめるということです。

 

今から数例ほど、具体的にどういったものかを載せていきますので、ぜひともご覧ください。

漢字練習はこうする!

国語といえば漢字!小学校では学年が上がるにつれて、覚える数も多く、またテストも多く大変ですよね。宿題でも漢字ドリルや、漢字練習がぞくぞくと出てくるのもこの3年生という時期から。

 

しかし、いくら漢字練習ノートに一通り全部の漢字を練習しても、その中でも必ず苦手な漢字というものが出てきますよね。たまーに自分では当たっていると思っていた漢字が、実は勘違いして覚えてしまっていたとか、字に厳しい先生なんかだと、完璧にポイントをおさえて書いていないとバツにされるとか。

 

「これだから漢字は嫌いだ・・」という、まさにそんなときこそ自主学習ノートでおさらいをしてほしい、いや自学のネタになる絶好のチャンスなんですね。

 

まず、自分の苦手な漢字を選びノートに書いていきます。


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次に、自分が先生になったつもりで、自分の書いた漢字を評価していきます。

例「バランスよく!」とか「きちんとはらう!」など(自分がわかればOK)

尚、この際はカラーボールペンを使って注意事項を書くと、とても見やすくなります。

ポイントは漢字ドリルの字をよく見ながらチェックすること。

 

やり方は至って簡単ですよね。実はこれ、子どもにとっては先生気分になれるのが楽しいらしく、効率よく漢字を覚えてくれ、おまけに結構イージーミスが減ったり、字がきれいになったりするんです。

 

もちろん普通の漢字練習をした後にするのが前提ですが、自学では苦手部分にポイントを当て書くだけなので、時間がかかりませんし、手にも負担がかからずマスターできます。そして何より学習中に自分の理解している範囲をきちんと知れることもでき、後でノートを見ておさらいする際にも役立ちます。まさに自分だけの攻略本!自分の「わからない」に合った本ができるのです。

 

今はやりのう〇こドリル

今ちまたで流行っている漢字をおもしろおかしく学ぼうという「う〇こドリル」、あれをやったら本当に漢字嫌いな子もやる気が出るのかは試したことがないので分かりませんが、実はこれも自分で作ろうと思えばわざわざ買わなくてもいくらでもできるんです。しかも自分で作れば常に旬なネタで学べるという特典付きで!

 

ちょっと自学には書けないような面白すぎるネタは、ちらしの裏に作って練習して、自学に載せても大丈夫そうだなというネタはそのまま書くなどしてみるのもいいと思います。

 

親子で問題を作りあったりするのもいいですね。何より子どもの想像力も鍛えられて知識も増えるかも??

 

おバカ問題

はい、そんな私もよくここでは載せられないような問題を作って子どもたちに出しています。今回はネットに配信していいレベルまで抑えて少しだけ考えました。

 

太字の言葉を漢字にしましょう。

 

①もう、いえにはかえらない。

②ぼくのへやのかべは花がらです。

③先生のギャグはさむいです。

④トイレまでおにのようにはしる。

はな毛がそだつ。

 

アウトなものもありますが、ぜひ、皆さんも考えてみましょう。

ローマ字

続いては「ローマ字」です。3年生の国語で習う大目玉といったら、この「ローマ字」なる存在ではないでしょうか。3年生くらいだと既に英会話教室や英語塾などに通っていて「もう知ってるよ~」という子もチラホラ。大体の学校が2学期のはじめくらいには習っているのではないかな?と思うのですが、こちらも夏休み中に予習したり、2学期の自学でおさらいできたりもします。

 

単純に教科書をうつすのもいいですし、

 
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ノートにボールペンで4本線を引いて、色々な言葉を書いてみるのもいいですよ。

 

ローマ字は専用のノートやドリルを使って学習すると思いますが、自学でも工夫次第で同じように書くことができるので、授業でやるだけでは不安な子は、お家でも挑戦してみてはいかがでしょうか。

 

し・ち・つ・ふ

特にやっかいなのが「しちつふ」シリーズ。し(si)ち(ti)つ(tu)ふ(hu)と、し(shi)ち(chi)つ(tsu)ふ(fu)の二通りの表記がある部分が嫌いだという声が子どもたちの間でも結構あるのですが、これをひたすら自学にやる!というのも個人的にはアリだと思っています。

 

こんな風に書くといい

「しちつふ」に関する問題を集めて書いていくというやり方なんですが、この際に「がつく言葉を考えよう~」と皆で「こんなのがある!」「あんなのもある!」と言葉づくりをしながらノートを埋めていくのもいいですね。

 

ちなみに私も考えたので、良かったら使ってください。

 

・次に言葉を2つの書き方で書いてみましょう。

 

①も ②ね ③は ④き ⑤り ⑥

 

・・と、まぁこのような感じで練習していくと自然に覚えていくと思います。

 

ローマ字表

後は、時間があればローマ字表をまるまるうつすという方法もあります!これだけで、わりと頑張った感がでますし、1ページで済みます。

意味調べ

3年生から登場するもうひとつのジャンル、それは「国語辞典」です!授業でも辞典を引く機会が増えるので、なるだけスピーディーに引けるようになっておきたいところ。そんなときも、自学で意味調べなんかをやると、辞書引きが身に付きます。

 

やり方は簡単。自分の好きな本をなんでもいいので(それこそゲーム本でも漫画でも)その中から「知らない言葉」や「あんましよくわからないや」というものを抜き出して調べるだけ!ノートには扱った本のタイトルと、調べた言葉の意味をただ書くだけ!これも4つくらい書いたら1ページ埋まるので楽~に終われます。

 

例 グスコーブドリの伝記」 意味調べ

1噴火口・・火山の噴火する場所。

一行スペースを空けて

2〇〇・・ほにゃらら

 

例文は短いですが、このようなスタイルでどんどん書いていくとオリジナル辞典が出来上がりますし、最初は調べるのが遅くても慣れてくるとパッと引けるようになります。ただ言葉選びにあまり時間をかけすぎないように注意してください。

 

他にも

ノートの下の部分だけちょっと余ったけど何を書けばいいのかな~と困ったとき用に「ことわざ」や「四字熟語」の意味を書くという方法もあります。おうちにそのような本があれば、それを使えますが、ない場合は自分で作ってみるのもいいかもしれません。

文章を鍛える

低学年の頃は自学で書写をよくした子も多いと思います。しかし、3年生ともなると「字をきれいに書く練習よりもっと他のことをした方がいいのかな・・」と算数や漢字の学習を優先する子の割合が高いのではないでしょうか。

 

ただ、3年生といえば字が激しく乱れやすい時期でもあります。どんどん書くスピードも上がってきて、知力も上がってくる、そうすると頭の回転の方が手の動きより上回って結果、字が雑になってしまうようですね。ちょうどお医者さんのカルテみたいな。プリントの数字も0なのか6なのかわからない!おまけに自分の字を読み違えてミスをする・・!なんてことも。これではもったいない!

 

そんなときは「詩」をうつすことをおすすめします。1年じゃないのに教科書をうつすのは気がひけるぜ!という子は、短い「詩」をうつしましょう。そして、詩を書いたら「感想」を書くのです。感想を書くことで「3年生っぽさ」が出てきます。

 

少しずつですが、こうしたことの積み重ねが文章力を鍛えることにも繋がります。自分がどう思ったか・何を感じたかを言葉にする力は作文にも役立っていくのです。

おわり

以上で3年生の自主学習ネタ(国語編)終わりになります。いかかでしたでしょうか。あまり参考にならなかったらすみません。

 

学習方法は多種多様なので、個人個人に合った方法でお試しください。

 

それでも自学ネタに困っている方がいたら、ぜひ自分だけの学習攻略本を作る気持ちで挑戦してみてください。

 

今、一生懸命学んだ分だけ、後にゆとりがもてるよ。今、持てる知識は今のうちに吸収しておこう!時間は有効に!がんばれ小学生。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 あわせてどうぞ↓

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【小3】教科書を使って自主学習をしよう【算数】

 

こんにちは!「オオカミのとおぼえブログ」を開いてくださりありがとうございます。そして、はじめての方、はじめまして。Ms.オオカミと申します。

 

 

数年前からボランティアで小学生に勉強などを教えているのですが、なぜか?その子たちから「おれの自学が学校に展示(てんじ)されたよ」とか「先生にがんばってるとほめられた」「自学がおたよりにのった」などの報告(ほうこく)をいただくようになったので、少しでもだれかのやくに立ちたいなと思い、自主学習ノートについてブログを書こうと思います。

 

 

この記事では「自主学習って何をすればいいの?」という小学生に向けて役立つ勉強法を伝授(教えようと)思います。

 

 

お子さんの宿題に困っているというおうちの方も、ぜひ一緒にご覧ください。

 

 

そんな今回は「小学校3年生の算数」をテーマに自主学習ノートの作り方をアドバイスさせてもらおうと思います。

  

 

目次

3年生の勉強はまだまだ基礎(きそ)!

小3までの勉強内容といえば、これから学ぶすべての超基本的(ちょうきほんてき)なことばかり。ここでつまずいてしまうと、いよいよ勉強が本格的(ほんかくてき)になってくる4年生生活がつらくなってしまいます。だからこそ、今のうちに毎日の「おさらい」、そしてよゆうのある人は「よしゅう」をしてテストで楽に100点をとれるようにしておきましょう!

 

「勉強のリズム」が身につけば、時間をムダにせずに、しっかり頭の中にインプットできるようになるはず。そうすれば、短い時間で宿題を終わらせて、のこった時間は自分の好き~に、長~く使えるようになるかもしれません!

 

※今の文に出てきた言葉の中で「わからないな・・」というものがあったら、国語辞典で調べてみるのも自学になりますよ♪

 教科書を用意しよう

それでは、さっそく自学での問題の作り方を紹介(しょうかい)します。計算ドリルをくり返してみるのもいいですが、「もう4回もやった」「あきた」「ドリルは自学に入らない」という場合は、学校の教科書を用意しましょう!

 

ここでは学校図書版 みんなと学ぶ小学校算数 3年上」を例にせつめいしていきます。


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(学校で使っている教科書がちがう子も、さんこうに出きる部分だけでも見てみてね)

わり算

3年生で習うものの中でも、もっとも有名で大切なのは「わり算」ではないでしょうか。まずは、そんなわり算の勉強方法から!

 

 

問題をつくってみる~いくつ分~

 

教科書やドリルの計算問題もいいですが、教科書をさんこうに自分で問題作りにチャレンジしてみましょう!

 

たとえば教科書P42~43には「いくつ分かをもとめる」問題がのっていますよね。どうやってしたらいいのかわからない・・という人はまず、自分のすきな食べ物で問題を作ることを考えてみましょう。そしてどんな式のわり算にしたいかを決めます。

 

リンゴでもクリでもなんでもいい。35÷5でも49÷7でもなんでもいい。好きな段から式を選んでみましょう。決まったら下の( )にそれぞれ言葉や数字を入れていくだけ!

 

 

 (全部の数)の(食べ物の名前)を(一人分の数)ずつ分けると、何人に分けられるでしょうか。

 

 

これはいくつ分(何人)に分けられるかを考える問題です。たとえば24÷6という式の場合には24という数字をそれぞれ(全部の数)(一人分の数)に入れればいいですね。

 

このとき、24がわられる数6がわる数になります。そして「あめ玉」使った

問題にしたかったら次のような文章になります。

 

 

(24こ)の(あめ玉)を(6こ)ずつ分けると、何人に分けられるでしょうか。

 

 

かんたんですよね?気をつけるのは、「たんい」だけ!おせんべいだったら、”~まい”になるし、おすしだったら”~かん”になるので注意。問題作りがむずかしいな・・という人は、このパターンでいくつも作って練習してみるのもいいかもしれません。

 

 

 

次は一人分の数をもとめる問題を作ってみます。上の問題ができればこちらはものすごくかんたん。

 

 

(全部の数)の(好きな食べ物)を(いくつ分)で同じ数ずつ分けます。一人分はなんこになるでしょうか。

 

 

さっきと同じ式と食べ物で考えると、

 

 

(24こ)の(あめ玉)を(6人)で同じ数ずつ分けます。一人分はなんこになるでしょうか。

 

 

という文章になります。変わったのは、いくつ分の数を聞いているのか、一人分の数を聞いているのかだけ。ちょっとした言葉のちがいです。この文章の形をおぼえておくだけで、いくらでも自分だけの問題がつくれます。

 

 

おさらい

では、ここでおさらいです!20÷5の式になる問題を作りましょう。

問題には、一つ分をもとめるわり算と、いくつ分をもとめるわり算がありましたよね。

かんぜんにマスターした人は、食べ物いがいの何かでも文章を作ってみていいかもしれません。

 

 

チャレンジ問題

こんなの「かんたんじゃん」という子は、P55のチャレンジ問題をやってみましょう。学校によっては授業中(じゅぎょうちゅう)にはやらないかもしれませんので、ぜひがんばってみませんか?

 

 

たとえば問1なんかは・・▲と☐が下のように12こならんだ問題が出てきます。

 

 

    ▲▲☐☐▲▲☐☐▲▲☐☐

 

 

①▲と☐のならび方には、どんな決まり方がありますか。

はい、まずはこの12こならんだ▲と☐たちを、ひとつのまとまりで考えると、「▲▲☐☐」という4このまとまりがくり返しになっていることがわかります。

 

 

②20番目の形は、なんでしょうか。

いま12こあるこの形が20こあったら、20番目の形は何になるかという問題です。①で4このまとまりがくり返しになっていることが分かったので、あとはこれらのまとまりがいくつあれば20こになるかを考えればいいですね。

 

 

ということは・・20÷4=5より、「▲▲☐☐」のまとまりが5つあるということがわかるので「▲▲☐☐」のまとまりの最後をみてみると20番目は「☐」になるということが分かりますね。

 

 

      ▲▲☐☐▲▲☐☐▲▲☐☐▲▲☐☐▲▲☐☐

 

 

図にするとこうなります。やはり最後の形を見てみると、「☐」なのが分かりますね!

 

 

では次の問題はどうですか?今のやり方を思い出しながらやってみてください。

 

 

▲▲☐▲☐☐☐▲▲☐▲☐☐☐▲▲☐▲☐☐☐▲▲☐▲☐☐☐▲▲・・・

 

 

①▲と☐のならび方には、どんな決まりがあるでしょう。

②37番目の形はなんでしょうか。

 

 

ヒント まずはひとつのまとまりを考えよう。答えは記事の一番下。

 表とグラフ

5ミリ方眼10ミリ実線入りなどと書いてあるノートを使っている人は、教科書P79の4の問題を表ごとうつしてみると目もりの勉強になります。

 
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この画像のように小さいマスで書きこんでください。大へんな作業です!

できる人は、自動車調べやすきなスポーツ調べなど、もっと細かいぼうグラフにもチャレンジしてみましょう。目もりのたつ人になれます。 

千の位をこえる数

教科書上P109の5,6の数字の部分をかえて問題を作ってみるのもいいですよ。

 

 

たとえば5の③の、千万を2こと、百万を7こと、十万を9こ合わせた数を答えなさいという問題だったら、千万を3こと、十万を5こと、一万を3こ合わせた数はなんでしょうにかえるなどして、すきな数字をすきな位にいれて自由にやってみると楽しいですよ。

 

 

また教科書P108の3にある千万の位までの表をうつすのもおすすめします。

 

 

おまけ

教科書にものっていますが、千万を10こ集めた数を100000000と書き、一億と読みます。一億は1000万を10倍にした数です。一億までの表を書いてみるのもチャレンジしてみましょう。 

おわりに(大人用)

今回は教科書の上を使ったやり方でしたが、これは下の教科書になってもおさらいで、いくらでも活用することができるので、大切に使うことをおすすめします!

 

算数は市販のドリルや教材で勉強することもできますが、それだとあらかじめ問題が載っているため勉強するにあたって効率はいいですよね。

 

しかし、私は一から手書きで問題を書いていくのにも大きなメリットがあると思っています。なぜなら書くという作業で、結構な暗記をしているからなんですね。

 

子どもの場合「この文章題は長くてイライラする」とかなんでもいいんです。問題を書いている間は意外とその内容を頭にインプットしていて、解き方や間違い、その時の状況なんかまでも長い間記憶に留めていたりするので、かえってプリントやテキストで解いた問題なんかよりも鮮明に覚えていたりするんですよね。自分で考えて、工夫した学習なんかは、与えられたものより子どもにとっても思い入れがあるのかもしれません。大人になるとすべて「効率が一番!」になるのですがね・・。実は子どもって大人以上に過程を重視しているのかも。

 

あとは自学を通してノートの書き方なんかが上達すると、全体的に文字や数字が見やすくなり、計算ミスが減ったりもするので、そこら辺は男の子なんかはいいかも。(女の子は綺麗に書くことに意識が行きすぎて算数なんかでは時間がもったいない子もいますが、そんな子は自学で書写をやるといいかも)

 

ですので、先生方にはその頑張って自学をした生徒たちのノートにはますます「やる気」がでるようにコメントなり花丸なりなんなりとしてあげてほしいですね。

 

日付と流行りもののスタンプを押すだけの先生もいますが、それならたまにでも、一言だけでもいいので「がんばってるね!」と書いてある方がもっと嬉しいと思います。

 

プリント類の宿題は3年生だと、ほとんどセルフで丸付けしていますし、やはり自学は先生との交流がほしいんじゃないかな。だって子どもたちはノート一冊終わった後に先生が書いてくれるコメントや賞状を、それはもう幸せそうに読み返していますもの。お友達や周りの大人に自慢したくてウズウズしています。

 

・・と思いました!

 

こんなの小学校までよ。こんなんでパワーが出るのは今だけ!だからこそ応援してあげたい!

 

教科書の下や国語などのノート作りは後程更新します!学力には差があるので、どのようにまとめていいのかわからず、あまり参考にはならなかったかもしれませんが、最後まで読んでいただきありがとうございました。(今回は中級編ということで) 

チャレンジ問題の答え

 

▲▲☐▲☐☐☐▲▲☐▲☐☐☐▲▲☐▲☐☐☐▲▲☐▲☐☐☐▲▲・・・

 

 

①一つのまとまりが「▲▲☐▲☐☐☐」となっています。つまりは7このまとまりがくり返しならんでいるということですね。

 

 

②37÷7=5あまり2より、▲▲☐▲☐☐☐のまとまりが、5こあって、そのあとに2こあるから、▲▲とならんでいるとわかります。

 

 

よって正解は、

①7このまとまりがくり返しならんでいる。

②▲

となります。

 

 

むずかしかったかな?かんたんだったかな?どちらにしても、自分の頭で考えたことが大切です。これからも色々な問題にチャレンジしてみてね!

 

 

 

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