オオカミのとおぼえブログ

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ハリー・ポッター魔法のような誕生劇 アナザーストーリーズ運命の分岐点

2017年5月23日にNHKBSプレミアムで放送された「アナザーストーリーズ 運命の分岐点 ハリー・ポッター 魔法のような誕生劇」のまとめと感想になります。

 

~今や世界で一番有名な児童書と言っても大袈裟ではないハリー・ポッターシリーズ。今回はそんな「ハリー・ポッター」が世に出版されるきっかけとなった出来事や物語を通して生まれた様々なサプライズなどを3つに分けて紹介していきます。

 
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視点1
ハリー・ポッターを救った女神 事務員ブライアニー・イーブンズの場合

まず初めに紹介するのはハリー・ポッター誕生のきっかけとなったクリストファー・リトル著作権代理事務所(当時)に勤務していたブライアニーさんのお話。

ブライアニーさんは好奇心旺盛の自由人で職を転々としていました。ある日、友人からの「お給料がいいよ」というススメでとある著作権代理事務所に転職しました。そこでは雑務係として働き、毎日たくさん届く郵便物や売り原稿の仕分けをしていました。ほとんどの原稿が返却箱行きになる中、ふとブライアニーさんの目に留まった"お門違い"な原稿。それはクリストファー・リトル社では取り扱っていない児童書でした。

本来ならここで即、返却箱行きになるはずのその原稿。しかしブライアニーさんは好奇心から「少しだけ…」と読んでしまいます。すると出だしの数ページを呼んだだけで、あまりの魅力に夢中になってしまい、原稿を全部読み終わるまではバレないように隠し持っていることにしました。

 

そんな中、作者のJ.K.ローリングさん(当時30)は何社にも原稿を送るも全て断られるという日々を送っていました。ローリングさんは小さい頃から空想好きな女の子で、イギリスの大学を卒業後はポルトガルで英語教師をし、現地で出会った男性と結婚、そして出産。しかし、28の時に離婚をしてシングルマザーとなってからはイギリスに移り住み、生活保護を受けながら娘を育てていたのです。何とか貧困から脱したいと書き上げた原稿が後の大ヒット作となるハリー・ポッターでした。

せっかく原稿を書いても本を出版するには代理人が必要です。ローリングさんは何社にもNOをつきつけられ焦る中、間違って児童書を受け付けていない出版社へ原稿を送ってしまいます。それがあのブライアニーさんがいるクリストファー・リトル著作権代理事務所であり、ハリー・ポッター誕生の最初の分岐点となる事務所だったのです。

 

そんなローリングさんの現状を知ることもなく、こっそりと返却箱行きのハリー・ポッターを読んでいたブライアニーさんは、原稿を読み終えると大胆にも「続きを送って!」と個人的にローリングさんに連絡をしてしまいます。一方どんな可能性でもすがりたい気持ちのローリングさんはブライアニーさんに直ぐ原稿を送ります。

読めば読むほど物語にハマっていくブライアニーさん。しかし雑務係であるブライアニーさんにはこの「ハリー・ポッター」がどんなに面白い本であろうがそれをどうすることもできません。色々と悩んだ末「この本が出版されないなんてもったいない!」と思ったブライアニーさんは上司のクリストファーさんに「この本は売れます!」と説得に動き出しました。

児童書を扱わない会社なので、もちろんクリストファーさんの反応も「はぁ?」だったのですが、そうは言いつつもブライアニーさんの熱心な様子に負け、原稿をきちんと読んでくれることになりました。その結果、奇跡が起きます。何と原稿を読んだクリストファーさんが、ローリングさんの才能を確信し「君の代理をしたい、その本を売りたい」と素早く連絡を取ったのです。

ブライアニーさんの一言でついに出版までの第一歩を踏み出すことになったハリー・ポッターでしたが、その道はまだまだ険しいものでした。代理人は決まったものの出版社が見つからなかったのです。そのネックとなっていたのは、ハリー・ポッターのページ数でした。分量が多すぎるため子ども向きではないと判断されていたのです。確実に売れる本でなければならない、リスキーなことはできないとイギリス中の出版社から受け入れてもらえない中、ブライアニーさんは根気よく出版社に声をかけ続けました。そして一年後、ついにその時が訪れます。ある出版社から「本を売りたい」と返事があったのです。

その名はブルームズベリー社。実はこの会社も初めは「原稿には期待していなかった」と言います。しかしここからが運命の分かれ道。なんと会長のナイジェル・ニュートンさんの娘アリスちゃんがきっかけで流れは一変していったのです。アリスちゃんは大の読書好きで、いつもニュートンさんが仕事で持ち帰る原稿を読むのが日課となっていました。その日もいつもと同じように父の持ち帰ってきた原稿を読んでいると、とても面白い話に出会います。そして「パパ、これは今まで出していたどんな本よりもずっと面白い」と教えてくれたのが、まさにハリー・ポッターだったのです。「子どもが読んで面白いと感じる本」そんな娘の意見に反応して、会長のナイジェル・ニュートン氏はブルームズベリー社からハリー・ポッターシリーズ第一巻の出版を決心したのです。

 

こうして1997年6月26日にハリー・ポッターは発売。J.K.ローリングさんの長年の夢が叶った瞬間でした。

 

その後、物語の出来に注目したアメリカの出版社が、その販売権を巡り1000万円以上の高値で落札したことから、ハリー・ポッターの評価は急速に高まり、世界中で社会現象を巻き起こす程の大人気作品となりました。

 

いつか本当に良い時期が来ることを信じ抜いた結果がローリングさんの未来を明るく照らしてくれました。

 
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視点2
ハリー・ポッターを日本に導いた画家 ダン・シュレシンジャーの場合

続いてはハリー・ポッター日本版の表紙絵を手掛けたアメリカ人画家ダンさんのお話。このお方は現在画家でありますが、かつては弁護士兼マラソン選手をしていた驚きの経歴の持ち主でもあります。マラソンでアメリカの代表候補として活躍する傍ら名門オックスフォード大学で日本語を専攻、さらに弁護士になるためハーバード大学法科大学院へ進学し卒業したスゴイお方なんです。弁護士で収入を得て、マラソンをするという何ともチャレンジャーな人生を歩んできたのですね。しかし、度重なるケガに悩まされ泣く泣くマラソン選手を引退してからは、弁護士一本に情熱を注ぎ、アメリカ、イギリス、日本と世界各地を飛び回る生活に追われることになります。そんなハードな日常の中、癒しを求め始めた絵に魅了され、やがてダンさんは画家を目指したいと思うようになります。

絵を本業にしたいと思ったダンさんの気持ちを誰よりも応援してくれたのは学生時代に出会った同じ弁護士である奥様でした。「元はといえばあなたが弁護士になったのはマラソンのためだし、これからは好きなことをすればいいわよ」と明るく言ってくれたのです。何て理解のある奥様なんでしょう。自分でも弁護士は本望ではなかったダンさんは奥様のありがたい気持ちを大切にし、家事と育児をしながら画家への道を進むことになりました。

しかし、才能で食べていくというのは簡単なことではありません。絵は評価されない限り、ただの趣味になってしまいます。「このままでは背中をおしてくれた妻に申し訳ない…何とかしなければ」次第にダンさんの中にも焦りが生まれるようになりました。

 

そんなある日、ダンさん宅に友人である松岡佑子さんが遊びに来ました。お気づきの方はそうです。あのハリー・ポッター日本版の翻訳を手掛けた松岡佑子さんです。実はこの二人、ダンさんがまだマラソン選手だった時に偶然飛行機で隣同士になったことが縁で友人関係になっていたのです。何せ学生時代に日本語を勉強していたダンさんは機会があれば日本人と会話してみたいと思っていたそうで、松岡さんに会ったときは絶好の機会だったわけです。後にこの出会いがダンさんの運命を変えるとは気づかずに…。

 

話は戻り、ダンさん宅に遊びに来ていた松岡さんは当時、出版社を営んでいた旦那様を亡くし、会社を継ぐために奮起していたところでした。何か出版しないとと悩んでいた松岡さんはダンさんに「オススメな本はない?」と相談。考えた末ダンさんはちょうどママ友からススメられていた「ハリー・ポッター」を紹介しました。この時松岡さんは「じゃあ、もし出版が決まったら絵を描いてね~」とダンさんに話し、二人で冗談を交わしていたそうです。しかし松岡さんはその夜、ハリー・ポッターを読んだところスッカリその世界観にハマってしまい一晩で出版することを決意します。そこからは出版に向けて着々と行動し、めでたく日本での出版が決まりました。さっそく松岡さんは約束通りダンさんに表紙絵を依頼。こうしてダンさんの初仕事は決定したのです。

 

その後、物語のイメージを壊さないようあえてハリーの顔を描かなかったダンさんの表紙絵は作者であるJ.K.ローリングさんに絶賛され、画家としての地位も確立、松岡さんも会社を続けられることになりました。もしマラソンをしていなかったら、もし挫折していなかったら、もし飛行機に乗っていなかったら…今とは違う人生だったかもしれません。いくつもの偶然が重なったおかげでダンさんの人生は思いがけない幸せを手にすることが出来ました。

残念なことにダンさんの夢をサポートしてくれた奥様はダンさんの成功を見届けてすぐに病気で他界してしまいました。しかしダンさんは言います。「妻は松岡さんにハリー・ポッターを薦めたのは私よと言うのです。妻の名誉のためにもそういうことにしたいのです。」

 
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視点3
がんと闘う少女 ケイティ・ホークの場合

最後はがんを患いながらも病気と懸命に闘ったハリー・ポッター大好き少女ケイティちゃんのお話。ケイティちゃんはわずか6才でがんを患い、その後苦しい治療を余儀なくされる生活を送ってきました。そんな絶望的な日々の中、唯一の希望は大好きな本、ハリー・ポッターの世界でした。

ある日、治療に励むケイティちゃんの様子を見た弁護士ポール・スタインザーグさんは、出版社にケイティちゃんがいかにハリー・ポッターが好きかをメールしてみることにしました。すると、驚くことに、何とJ.K.ローリングさん本人から返事が届いたのです。

それからというものケイティちゃんとローリングさんの間では極秘のメールでのやりとりが始まりました。一部特別に公開されたメールの文章には"がんと闘うケイティちゃんはグリフィンドールにふさわしい"というハリポタファンなら誰もが喜びそうな気遣いや、物語のネタバレを特別にしながら"秘密をバラすとフクロウが行くよ"などと子ども心をくすぐる楽しい内容で溢れていました。

ただ返事をもらえるだけでも嬉しいものですが、病気で苦しむ気持ちに配慮して文を考えてくれることは、ケイティちゃんのお母様にとっては心強かったでしょうね。

 

しかし、ケイティちゃんの病状は8才になる頃には深刻に悪化し、別れの日は刻々と近づいてきました。ついに医師からは持って二週間の命と宣告されたことを知ったローリングさんは、ケイティちゃんのためだけに未発売の本を読み聞かせすることにしました。それはケイティちゃんの体力を考慮して1日15分だけ電話で伝えるものでした。

 

最後の電話の日、ケイティちゃんは電話に出ることは叶いませんでしたが、19日間を生き抜きました。ローリングさんは最期にケイティちゃんへ以下のメッセージを送りました。

 

"ケイティ、ハリーより勇敢だった。ずっと忘れない"

 

ローリングさんが病気や戦乱で苦しむ子どもたちとメッセージのやりとりをしている例は少なくないそうです。今もこんなやりとりがどこかで密かに行われているのかもしれません。ローリングさんは作家になりたいというよりは、作家を通して子どもたちに夢を与えたいのではないかと思いました。

 

 

さいごに

ハリー・ポッターシリーズが全世界で脚光を浴びた数年後、イギリスである短編小説が人気となりました。そのタイトルはロバート・ガルブレイス著の「カッコウの呼び声」人々がその新人作家の正体があのJ.K.ローリングと知ったのは本が発売されて暫く経ってのことでした。有名になりすぎたローリングさんは別名で本を出すことで、自身の作家としての評価を確認していたのです。

この本を読んでいくと、「ブライアニー」という人物が登場してきます。そう、ハリー・ポッター出版までのキーパーソンになったあのブライアニー・イーブンズさんです。実はブライアニーさん、ハリー・ポッター発売を待たずに彼氏と別れたことで心機一転をはかり、出版社を退社していたのです。しかしローリングさんはずっと自身の作品をここまで導いてくれたブライアニーさんに感謝しており、いつか小説にブライアニーさんを登場させたいと考えていたのでしょう。その思いが長年の時を経てブライアニーさんのもとへ届いたのです。何ともほっこりするお話です。もしかしたらハリー・ポッターよりもハリー・ポッターができるまで…またはハリー・ポッターを通して生まれた数々の出会いの方が小説よりもずっと面白いかもしれない、そんな風にも感じる人間模様でした。

 

 

番組を見て

数多くの人々に愛されているハリー・ポッター。おそらく架空の人物の中で最も知名度のある名前といっても過言ではないでしょう。

ハリー・ポッターヒットの裏には映画化されても原作のイメージを裏切らないキャストと舞台があったからだと思います。私も映画の舞台になったオックスフォード大学まで行ったことがありますが、現地を実際に見てみると、かなりCGにも力を入れたんだなぁ~なんて感じることが出来て、改めて映画製作者のハリー・ポッターに対する拘りや敬意、そして愛情が伝わってきました。

ハリー・ポッターはイギリスの文化で溢れているのも魅力の一つですし、今では「イギリスといえば?」「ハリー・ポッター!」と言えるほど新しい文化になっていますよね。本ひとつでその国のイメージをポジティブにしてくれるのですから文化って本当にかけがえのないものですよね。日本もゲームのキャラクターやアニメのキャラクターなどが世界を飛び立って素晴らしい活躍をしてくれているのでキャラクターの力は侮れません。そもそもキャラクターは幼い頃に見たままの姿であり続けますし、いつ見ても当時の記憶にタイムスリップできるからこそ懐かしく、貴重なものなのかもしれません。

 

今回はハリー・ポッターに関する3つの物語を紹介しましたが、どれも共通するのは「夢」であったと思います。人は夢を見て、叶えたいと願う生き物。それが叶うか叶わないかは人それぞれですが、夢を追うことや行動に起こすことは希望に繋がりますし、達成するまでは苦しいですが、必ずしも成功だけに物語があるわけでないし、色々な体験を通して人生の味が楽しめるのだなと思いました。

 

ケイティちゃんのお母様が番組のインタビューで答えてくれたケイティちゃんとローリングさんとのメールのやり取りで感じた「親にはできない人生の彩りを与えてくれた」という一言はまさに、夢が起こした魔法だと感じますね。夢を叶えた人だからこそ、与えられる夢であり、夢を見ていた人にだけ届いた小さな幸せだったと思います。

 

ハリー・ポッター誕生に至ってはこの他にもいくつか物語を聞いたりもしますが、本と限らず誰かにとって支えになったり、希望になったり、転機となったりする出来事はたくさんあるでしょう。私はまだ運命を変えるようなものとは出会っていないので、そんな方を見るだけで凄いと思いますし、羨ましいです。もし、「私も巡り会えていない」という方がいたら、今後そういった機会があればお互い大切にしていきましょうね。

 

それでは、長くなりましたが以上になります。最後まで読んでいただきありがとうございました。