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松岡亮二「教育格差」から考えること

 

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松岡亮二さんの「教育格差ー階層・地域・学歴」を読んだ感想になります。

 

ここでの格差というのは、主に最終学歴や職業(収入)を指します。

 

学歴だけが幸せではない!という意見はその通りですが、ここでは格差を自覚できないまま人生を選択している事の不平等さについてお話したいと思います。

 

 

 

 

はじめに

「出身家庭と地域という本人の努力とは無関係な初期条件によって子供の最終学歴は異なり、それは収入・職業・健康など様々な格差の基盤となる」と松岡さんは言います。この本では”○○だから悪いのだ”という現教育制度への批判ではなく、教育格差の実態を圧倒的なデータ量で検証した結果を綴ったものになります。また、その上で社会がどのような対策を取るべきか提案する内容となっています。

SESとは

SESとは社会経済的地位のことを言います。経済的、文化的、社会的要素を統合した地位を意味し、それぞれ世帯収入=経済、親学歴・文化的所有物や行動=文化、職業的地位=社会的地位を示します。また、これらを指標化して高SES、低SESと言っています。

育つ環境の違い

「あの子は頭がいいから」という言葉を聞きませんか?逆に「うちの子はバカだから」という言葉も聞きませんか?それは生まれつきだと思っていませんか?実はここにも環境の違いSESが大きく関係しています。さっそくですが、就学前の各SES家庭を示したデータから見ていきます。

意図的養育

高SES家庭の親は子供の生活に意図的に介入をします。習い事・テレビ視聴時間の制限・大人との議論など子供の認知力や社会性の発達を意図した介入を積極的に行います。その結果、生活リズムが整う事で、落ち着きがある子の割合が多いことがデータで分かります。また、読書量の多さや大人との議論、質問を経て、語彙数にも低SESと差があることも分かっています。

放任的養育

それとは逆に低SES家庭の親は「放っておいても子供は育つ」スタイル。子供の自由を尊重し、日常生活や遊びに大人による制限が少ないことが分かります。親は命令口調が多く、言語的な内容伝達は最小限に留まり、子供が大人に対し議論や質問をすることを期待しません。また、就学以降に関しても学校の先生との関係性が薄い傾向にあります。

 

このように就学前の段階で既に大きな開きが見られます。朝食をとらない、睡眠不足、言語発達を促さない。小学生に上がった段階で既に学力や生活面で格差が出来てしまっています。その格差を子供のせいにするのは気の毒です。子供自身もあの子は出来て、自分は出来ない子と自分自身にレッテルを貼ってしまいます。もう一度付け加えると、これはデータが表している結果です。

小学生~中学生で格差は広まる

さらにこの格差は成長と共に拡大します。同じ公立でも都会と田舎じゃ学力差がある事くらい今では誰でも認識しているはずです。しかしこの学校間格差がどれくらい開いているのかを理解している親がどれだけいるか・・と言うと、やはりここでも高SESの親を持つ子が有利になります。

 

みんな自分が今いる場所の中を「ふつう」と思って生活しています。その「ふつう」のレベルが低かったら?子供の学力はそこではふつう以上だったとしても、少し外に出たらふつう以下になるかもしれません。そこに対策を打てる人は限られています。

 

データでは低SESの親に厳しい数値を出していても、我が子のためにと愛情をかけて育てている方が多いと思います。子供には幸せになってほしい!いい暮らしをしてほしい!と。それでも無自覚な部分で差がついてしまう。私はここを何とかしたい!というのが筆者の思いだと勝手に感じています。

高校受験ではさらなる選別

高校受験では生まれによる最大の選別が行われます。入った高校によって受けられる大学のレベルも決まっている上、大学へ進学する向けの高校なのか、全くそうではない高校なのかも区別されます。

 

高SES家庭の子が集まる高校は高ランク・高SES校になり、恵まれた条件で学業に励みます。一方、低SES家庭の子が集まる低ランク・低SES校では、学習時間ゼロ時間の割合が高く、勉強しないことが「ふつう」となっている事が分かります。前者が塾に通っている時間、後者はバイトや友人と遊ぶ事が「ふつう」に。ここでもそれぞれの「ふつう」が違います。

自分が望んだ選択なのか

私はどちらの高校にも良さがあると思います。しかし、それは子供が望んだ場合のみと言えます。高SES校の生徒は高い割合で親からの支援を感じています。教師も生徒を誇りに思い、中退者を出さないように努力します。一方低SES校では教師による生徒への期待値が低く、中退もありえる選択肢だとして教育を行っていることが分かりました。

 

ここまで来ると学力や収入だけが格差ではなく、周りの大人が見る目からも格差が生まれている事実に気づきます。高校生になってから夢が出来て、巻き返したくてもなかなか難しいハードルがたくさんあるのが現実です。

まとめ

ここでP311にあるデータのまとめを拝借し、おさらいします。

①教育格差・こどもの貧困・それらの地域格差は年々拡大中

②格差は未就学時点で存在、親学歴によって異なる時間を過ごしている

③中学入学時点で経験の蓄積(学習量や習い事など)に大きな格差があり、中学校教育への適応度と関連している

④高校受験によって生まれによるさらなる学校間格差が生じる

⑤他国と比べ日本の教育制度は特異。中退があり得る、教員の期待が低い教育困難な低ランク校は低SES校でもある

 

 底辺校とされる学校は、蓋を開ければ低ランク・低SES校であり、社会の選別によってつくられている形になっている、という事です。そして、その中にいる彼らは無自覚な状態でそこにいる・・。

松岡論

最後に、松岡さんがこの問題に対し、どんな改革を願っているのかについて紹介して終わりにしたいと思います。

 

価値・目標・機能の自覚化、「扱いの平等」の限界、教育制度の選択機能を意識した上で、現状把握なきの「改革」のやりっ放しをやめよう。

分析可能なデータの継続的収集・効果測定による実践の漸次的改善を通して、一人でも多くの可能性を最大限に開花させよう。

教育格差を学ばずに教員免許取得が可能な現状を改め、「教育格差」を必修科目にしよう。

 

今回扱ったデータだけでは不十分な部分を検証するための準備、そして「教育格差」を認識していく広がりを求めておられます。もう一度改めて付け加えますが、これらの事は、今あるデータから読み取れたものであり、あくまでもデータです。

感想

学歴がすべてじゃないよって方、学歴はないけど収入はあるよって方は別にいいと思うんです。それがすべてじゃないと私も思います!最終的に幸福に生きて行ければOKですよね。

 

ただ、この本に書いてあることは日本の将来についての危機感です。昨今はAIに負けない人間づくりを!とよく言います。これからの社会で今までのやり方で通用するのか考えた時、やはり学歴はキーポイントになってくると思います。

 

みんなが一緒の社会モデルを追いかけて来た20世紀とは違い、これからは個人で能力を養って勝負していく時代。ずっと正社員、ずっと高収入なんて安定は誰にも約束されていない。21世紀を生き抜いていくには教養が必要になることは間違いありません。

 

次の更新ではAIをテーマにしたいと思います。私たちはAIにすべてを奪われる事はあり得ませんが、AIより能力が劣った時、とても苦労する可能性が高いです。この辺についても格差によってハッキリした未来が見えて来るでしょうね・・。

 

大事なのは学歴というよりは教養や自分軸なのかも?

 

そして、低SES家庭出身者が高学歴高収入を望む場合に、高SES家庭出身者と競う事で立ちふさがる不平等さも悩める子供にとっては問題です。

 

私自身も低SES家庭からの大卒なので、周りとのハンデは大いに感じていました。「生まれ」は確実に影響しています。

 

高SESになんてならなくていい!って場合は別にいいんです。強制する必要なんてありません。ただ無自覚だった格差を知った後の選択肢とそうでない選択肢は違うと思うんです。

 

まずは、この状況を知った上でどうしたいかを考える事から始めるのが大切だと思い、この本が低SES家庭にも伝わればという気持ちから紹介させていただきました。

 

長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

参考にこちらもどうぞ。本書と同じことが書かれています。

gendai.ismedia.jp