オオカミのとおぼえブログ

ブログ概要に関しては、ブログトップ記事からどうぞ!

ブログ開設3ヶ月目でようやく月10000PV達成しました!

こんにちは。今回は月に一度のブログ運営についての記事なります。

 

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3ヶ月目をふりかえる

ブログ開始からもう3ヶ月が経ちました。早かったですね~。さっそく3ヶ月目のアクセス数からふりかえりたいと思います。

 

【3ヶ月目のアクセス数】

※基本的に一日一記事。(2、3日はサボったけど)2/28まででギリギリ100記事達成。

13618PV(はてな)

13805PV(Googleアナリティクス)←自分のPV数はカット済み

 

何とやっと3ヶ月目にして月10000PV突破しました…!実は私、前回のブログ運営記事では書きませんでしたが、ひそかに「3ヶ月目までに月10000PV達成したい!」という目標があったのです。

というのも、色々と他のブログを読んでいる中で「3ヶ月目までに月10000PV超えないなら才能ない」とか「200記事書いても月10000PV超えないならブログ辞めた方がいい」とか結構チクリとくる言葉があって、内心ネタも含んで書かれてあるとは理解しつつも個人的にはずっーーと気になっていた部分でもありました。

 

そして迎えた3ヶ月目。先月のアクセス数があまりにも低かったのと、3ヶ月目にあたる月が2月というのもあり「28日間で10000PVは無理!もう私はブログ辞めた方がいい人ってこと?」とすっかり投げやりモードになってスタートしたんですね。

 

 

3ヶ月目の魔力

「あぁこれが噂の魔の3ヶ月か…」と3ヶ月目になるとブログを辞める人が多い説を感じていた私は、毎日更新していたブログを2月は書けなかった日もありました。

 

しかし、3ヶ月目には別の魔力も隠されていました。それは、3ヶ月くらい経つとアクセス数上がってくるよん説です。

それまで一日200PV前後だったこのブログでしたが、80記事前後くらいから過去記事が急に読まれだすと、その日から一日のアクセス数が500PV以上になったのです。

 

 

なぜ急にアクセスアップしたのか

きっかけになったのはこの記事。

ここで書いた番組が再放送された後にぐーんとアクセスが上がりました。この記事に関してはツイッターでプロデューサーさんがいいねしてくた時、そこから読みに来てくれた方も結構いたというのもあると思います。

しかし最もアクセスアップに貢献してくれたのは大好きなフィギュアスケート関連の記事でした。先月出だしは投げやりモードだった私も、月の半ばにはフィギュアの試合があったため自然と書きたくなり、気づくと毎日更新していました…!それはもう楽しかったです(笑)

するとアクセスがのびーるのびる。一週間くらいは一日に700~900PV以上をうろつきました。その期間内で一日だけ熱で更新できなかった日も900PV超えていて驚きましたよ!

 

ちなみに先月一番読まれた記事がコレ。2000PV以上も読んでいただけた。


羽生様様です。別に狙って書いたわけではなく偶然のサプライズ。今も一日に50PVくらいは読んでもらえています。

 

でも二番目に読まれたのは過去記事の「関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅 ポルトガル編」です。なぜかわかりませんが、ポルトガル関係のワードでこのブログにたどり着かれる方が多いようで、同じように他のポルトガル関連の記事もそんな感じで読まれています。日本人の中でポルトガルがブームなんですかい?

 

 

現在の悩み

3ヶ月目を終えてわかったのは過去記事の大切さでした。アップした時はそんなに読まれていなかった記事でも、時間を経て急上昇してきたりするので、100記事書いたらいらない記事消そうとか言っていましたが、やっぱり消さないでおきます。

あとは、もう少しカテゴリーを増やしたいというのと、はてなブログからの読者を増やさないといけないというのも課題。

このブログの8割がGoogleYahoo!からのアクセスなんですよね。それと先月はフェイスブックから初めてシェアされたり、ツイッターで記事をリツイートしてもらいました!しかーし!はてなからは割合的に多分5人見てくれてるかどうかくらいだと思われます!はてなブログでブログやっておきながらこれはマズイですよね…。

もう一つ悩むのがフィギュアスケート関連の記事を、ここでたまに万人向けに競技のことを知ってもらうために書いていくか、他ブログでオタクモード満載で特化するかということ。やっぱ私同じ趣味の方と交流しながら書いていくのが好きなんですよね。そうなるとアメブロとかと分けた方が良いのかなぁと悩みますね。まぁ両方やるのも手ですが現在考え中です。ただフィギュア記事はアクセスのためではなく、趣味のために好きに自由に書いていきたいということには変わりません!

 

しかしながらフィギュアスケートの記事って私も過去に経験済みですが、アンチがつきやすいんですよね…。先日も他の方のフィギュア関連のブログを見ていたらコメント欄が荒れていて他人事ではないと思いました。そこら辺は小心者なのでドキドキして書いています…。

 

 

今月の目標

今はフィギュア週間が去り、アクセスも500PV台くらいに落ちついています。そして昨日で100記事達成したので以前先輩ブロガーさんからアドバイスいただいたように、何か変化があるのかないのか見守りたいと思います。200記事に届く頃には一日1000PV以上はあってほしいな。

 

先ほども言いましたが今後は少しカテゴリーを増やしたいと思います。これまではBSやNHKの番組のまとめや感想とフィギュアスケートについての記事を主に書いていましたが、今日からちょいちょい他のことも書いて幅を広げるのが目標です。新しいことをするのはリスキーだけど頑張って見ます!

 

ちなみに昨日は少しカテゴリー外のこと書いてみました。

アクセスは600PVちょい。案外下がりませんでした。でも油断大敵です。


まだまだショボいブログですが地道に頑張ります。ひとまず今月は現状維持で…(守りに入る)同じような心境の方がいたら一緒に頑張りましょうね!

 

以上、心の整理でした。

好きか嫌いか言う時間 中卒ママVS高学歴ママを見て

今回は2017年2月27日にTBSで放送された「好きか嫌いか言う時間 中卒ママVS高学歴ママ」を見て私なりの意見を書いていきたいと思います。

 
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極端な考えだけを集めた構成

この番組放送後、ツイッターで目立ったのは「高学歴ママ酷すぎ。高学歴ママと中卒ママを選ぶなら中卒ママの方が良い。学歴なんて必要ない。」という意見。

ここで言われる高学歴ママの酷い部分とは

1 家に監視カメラをつけて娘の勉強を管理する

2 学校でシラミをうつされたので転校させる(それは中卒ママの子どものせい)

3 過度な英才教育

を指しています。

確かにどれも行き過ぎた内容ではあります。特に2のシラミの件は放送上問題のある発言(シラミの原因は中卒家庭によるもの)もありました。そうなると世間の意見は「酷い親だ!学歴なんてあってもこんなんじゃ意味がないじゃないか!」と怒りで溢れることかと思います。

しかし、私はここに出演するママたちにとても違和感を覚えました。どうも「考え」が「極端」すぎるのです。果たして高学歴の人間が皆こんな風に子育てをするのでしょうか?エピソードがあまりにもぶっ飛んでいて、私にはわざと極端な人たちを集めて煽っているようにしか思えません。

 

 

問題は学びが必要ないと勘違いさせること

上記の内容については番組上に面白くさせるための目的に過ぎないかもしれません。ただ問題なのは、「高学歴ママ酷い」イコール「学歴なんて必要ない」というコレまた極端な考えを生んでいることです。高学歴は必要ないとしても学ぶことが本当に必要ないのでしょうか?私は絶対にあり得ないと思います。

若い頃の無知は許されます。それはまだ若いから。大人になってから知らないことを知ろうと努力することも恥ずかしいことではありません。立派なことです。しかしその無知をそのままにしていればどうなりますか?いつまでも若い頃と同じように周りは見てくれますか?違いますよね。年を重ねていけばいくほど社会で苦労するのは自分自身です。生きていくのに高学歴は必要ないかもしれませんが、人として最低限の教養は必要だと思います。

中には「雨風しのげて暮らせるだけで幸せと理解できるようになる」と涙ながらに話していた中卒ママもいました。残念ながら家庭環境が理由で高校に通えなかった人がいるのも現実ですが、このママも本人の努力次第で今からでも学べることはできるはずです。自身の人生が辛かった分、子どもには同じ苦労をさせまいと頑張れるのはその親だけです。学歴がある人でさえ死ぬまで勉強し続ける人は大勢いるのですから、こうして「最低限」を選ぶより目標と向上心を持って生きることの方が少なくとも涙は流さずにいられるし、生きやすいのではないかと思いました。

 

大多数の人間が学ぶことを放棄したら世の中から私たちが「必要」とするものが消えてしまいます。普段何気なく利用しているものの多くが生きていくために必要なものばかり。それを生み出したのも人間の知恵なのです。人は生きるためにも学ぶことは大切です。

 

 

体罰かしつけか

続いては、親から2万円盗んで遊戯王のカードを買って叩かれたという息子の話。これは体罰かしつけかと議論になっていましたが、個人的には「口で言って聞かせればわかるようなまだ小さな子」に手を出す親は少し言葉の能力を改めた方が良いと思います。ただ暴力以外で説明すれば虐待ではないとも思いません。高学歴ママの監視カメラはまさに精神的におかしくなっちゃいそうな行為ですからね。

我が家は父は温厚、母は「暴力反対!文句があるなら口で言え」精神だったため叩くという行為に想像がつきません。しかし反抗期真っ盛りのすっかりデカくなった息子が悪いことをしてカーチャンに「このバカ息子!」「イテッ」という昭和な場面は男の子がいる家庭にはあるものなのかなぁと思ったりもします。

ただ「悪さ」にも個々によって程度がありますよね。

この番組では最後に「2万円盗んで」カードを買ってしまった息子による母親に対しての"きちんとしつけてもらって感謝してる"という感じのメッセージが放送されて感動の涙…!という展開で終わっていました。確かに現実息子さんは良い子に育ってて素晴らしいと思いました。

しかし私はコレにずっと悶々としています。なぜなら「2万円」盗むって普通じゃないと思うからです。「悪さ」の程度が凄すぎるのです。しかもこの息子さん「以前母親が、友達が万引きした時も叱ってくれた」と話していてまた驚き!「万引き」ってちょっと!犯罪ですよ!おそらく「悪さ」の程度がここまでだと思わなくて「叩くのは虐待だよー」と思った人もいるはず。

だからといって叩いてもOKというわけではないけれど、むしろこれは「叱る」前に「盗み」を犯したことがなぜなのか心理的に焦点をあてるべきだと思いました。それくらい盗みって叱って済むことではないし、そこに至るまでの経緯を知ることが重要だと思うからです。

この母親は叩いても抱き締めてあげる覚悟があるから手を上げたそうなのですが、確かに抱き締めることは大切な愛情表現だったと思いますね。だから息子さんも立派に育ったのでしょう。しかしながら、これは親子の信頼関係があってのことで親の力量がなければただの暴力になるのでむやみに真似はしない方が良いと思います。基本的に叩いて抱き締めるとかDVと同じですからね。

親にも子にも色々な人がいるように、人それぞれに合ったしつけがあるのも事実だとは思います。結局はその家庭のやり方があるのだろうけど、互いから学ぶことや、互いを通して見えてくる自分の姿も勉強になるのではないかと思いました。

 
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大切なこと

最終学歴暴走族という中卒ママには笑えましたね。中卒だろうが明るく楽しく生きることができれば全然問題ないと思います。しかし、こうやって笑って暮らせれば良いのですが、そうでない場合もあります。

 

私が昔、仕事で小学生の宿題をサポートしていたとき、いつも勉強することを拒む子たちがいました。その子たちが決まって言うのが「ママが勉強なんてしなくても生きていけるっていってた」とか「ママが高校に行かなくてもいいって言ってたから勉強がんばらなくても良いんだよ」という言葉でした。中には「高校に行かないですぐお嫁さんになるから勉強はしなくていいの」という子までいました。子どもは素直です。親の"勉強しなくてもいい"という教えをそのままところ構わず実践してしまいます。だからといって他の子が勉強している場で遊んでいて良いのか?といったら違います。皆と一緒に勉強しなければいけません。

もちろんこの子たちの母親もそんなつもりで言ったわけではないと思うんですよね。まさか自分の一言を子どもがこんな風に捉えて過ごしているとわかれば叱るんです。「人様に迷惑をかけるな」と。

そして一度ママに注意されると真面目モードに切り替わるのも子どもなんです。いくら親に勉強なんて必要ないと言われてもテストで100点とったり、字がキレイだねと花丸をもらえば誰だってその達成感が自信になるし嬉しいのです。そして努力と成功体験を積み重ねることで「私やっぱり将来~になりたいから勉強する!」と意欲的になります。私はこうした親の声がけ次第で子どもの可能性や生き方には選択肢が広がり全然違ってくると思います。ですから子どもの前では絶対に「学ぶことが必要ない」とは言ってほしくないのです。金銭的な事情で学ぶことが難しくても、生涯を通して学ぶ方法はいくらでもあります。私は親にはそういった方法を子どもに伝えて欲しいと思っています。

 

また、勉強は1日2日で身に付くものではないため地道な努力が必要です。結局学校とは自分自身の力でどこまで考えられるかの訓練みたいなもの。大切なのは知識を埋め込むよりも、この地道な努力を積み重ねる力なんだと思います。私たちは「勉強めんどい」「勉強嫌い」といいながら、知らず知らずのうちにそれらを義務教育の中で身につけているんです。

母親と共に通信制の高校に通い途中で断念してしまった娘さんがいたのですが、彼女はこの小さい頃から身につけるべき力をどこかで「必要ない」と落としちゃったのかなと思います。

何より通信は通学と違いほぼ独学です。独学とは教室の中でいくら勉強した人にだってその力を最大に発揮するには苦労するもの。そりゃー人間誰しも自分に甘い部分を持っているわけで、そんな中、自分でスケジュールを管理するのは至難の技ですからね。彼女には、この落としてしまった力を取り戻す気持ちがあるのかわかりませんが、せっかく家族がやり直すチャンスを与えてくれているのだから「変わるのはいつでも良い」ではなく「やれるうちにやっておきなさい」と言いたいです。

それと彼女が留学したいという意見に私はむしろ賛成ですね。ただ「絶対にすぐ帰って来るなよ」を条件にですが、辛い環境に放り込んでしまうのも一つの道かも?と思います。高学歴ママの中にいたテキサス大卒の方の教育論は私もよく理解できませんが、何だかんだであの英語力は彼女の努力の賜物だということは頭に入れておいた方が良いかもしれません。

 

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さいごに

最後に高学歴ママについて少し触れておわりにしたいと思います。どんなに良い家柄でも、どんなに素晴らしい学歴を手にしても、人を差別したり見下すような人間であったらそれは真の賢さとは言えないと思います。恵まれない家庭環境で育った人にとっては、親の敷いてくれたレールを歩けるというのは、それだけでラッキーなことです。自分の力だけでなく、親の力、家族の力は大きいということ、それらが進学や就職するにあたっていかに助けになってくれているかを忘れてはならないと思います。

私自身は大した学歴がないので教育を与えてくれる両親の存在は羨ましいですけどね。でも今回の出演者は高学歴ママも中卒ママも極端すぎてどちらの気持ちにも賛同できませんでした。もう少し中堅層とのバトルではないと議論にすらならないと思うのですが、それでは番組が面白くないからやらないんでしょうね。

それにしても、あんまりの高学歴ママたちのとんちんかんな発言の寄せ集めのせいで、普通の教養ある人の生き方に対して「勉強なんて何の意味もない。人生経験積んで挫折を乗り越える方法がわかれば大丈夫。」と間違った考えを持つ若い子が増えたらマズイのでは?と心配です。

学歴ある人の「学歴なんて何の意味もない」という言葉は、実際に学歴を持つその人にしか使えない体験談であることは理解した方が良いです。学歴が役に立つかどうかなんて人それぞれだし、それがどんな場面で生きてくるかなんてわかりません。確かに大学出たって意味ないじゃんってことも今の世の中ならたくさんありますが、それと同時に「学生時代もっと勉強してれば良かったな」「もっと上を目指していれば良かったな」というチャレンジ後悔をしている人もいるのではないでしょうか?少なくとも私はそうです。

そう考えると一番大切なのは過去ではなく、今いかに向上心を持って生きるかだと思います。人間死ぬまで勉強といいますが、まさにその通り。吸収することを諦めてはならないと改めて感じました。

 

あとがき

「立派」な母親になることは難しいかもしれませんが、子どもから「お母さん大好き」と言ってもらえるような親子関係を築くことができたら子育てとしては結果、大成功ではないでしょうか。

「又吉直樹 第二作への苦闘」NHKスペシャル

2017年2月26日にNHK総合で放送された「NHKスペシャル 又吉直樹 ~第二作への苦闘~」のまとめと感想になります。

 
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あらすじ

築30年の6畳、家賃4万円の風呂なしアパート。そこは2015年「火花」で芥川賞を受賞したお笑い芸人ピース又吉直樹の仕事場だ。現在売れっ子芸人×作家という二足のわらじの中、第二作の執筆に挑んでいる。何もない部屋で架空の物語を生む孤独な作業。すべては第二作目にふさわしい作品を書くために…。そんな又吉直樹の作家としての苦闘を追った。

 

 

何もないところ

又吉には毎日、芸能関係の仕事から自宅に戻る前に必ず寄るところがある。それは別名「第二の仕事場」とも言える執筆活動のための部屋だ。この部屋は食べるのにも困っていた時代を思い出させてくれる又吉にとっては大切な場所。何もないところだがそれが逆に仕事をはかどらせてくれるのだ。

第一作「火花」は250万部のベストセラーになり、又吉はあっという間に人気作家の仲間入りを果たした。現在はそんな前作に負けないような作品の執筆に向けプレッシャーの中、励んでいる。

 

 

文学性と大衆性

又吉は第二作目に「恋愛小説」を選んでいた。主人公は売れない劇作家で、その苦悩を全身で受けとめてくれる恋人がいる。そして二人の間で起こる様々な出来事を経て成長していくという話だ。

恋愛小説を選んだのには理由がある。それは前作「火花」で普段本を読まない層にも「話題」を通し読んでもらったものの、その評価はどれも「難しい」と判断されたことがきっかけだった。そこで又吉は、文学性を全面に出した本ではニーズに応えられないのではないか、自分の小説には若者に「おもしろさ」を残す必要があるのではないか?という2つの思いの間で揺れた末、文学性より「大衆性」に比重をおく道を選んだのだった。

 

 

葛藤

ある日数ヵ月ぶりに4日間のまとまった休みをとれた又吉は執筆のため札幌へ飛んだ。今回仕事場に札幌を選んだのは、そこが下積み時代の苦しかった記憶を思いおこす場所であったからだ。できるだけ当時の心境を物語に重ねていきたい…そんな思いで原稿用紙100枚分を書き上げた。

しかし休み明けの数週間、又吉を待っていたのは数々の仕事の山だった。芸人としての多くの活動に合わせ、他のエッセイや雑誌での執筆…又吉はあまりの忙しさから第二作への時間が思うようにとれず原稿は全く進まずにいた。そうしている間に、どんどん話は浮かばなくなっていく…。焦った又吉は密着取材中で今の不安や葛藤を口にするようになっていった。

若者にも読みやすいようにと恋愛要素に力を入れようとするとなかなか筆が進まないのだ。その姿はまるで、本当はニーズに応えたいというより、どこかで個性を出そうとして難しくなっているのではないか?そんな風にも見えた。

 

 

完成

又吉はそんな自身の葛藤から抜け出すため先輩作家である古井由吉氏に会いにいった。そこでは又吉の今後についての貴重なアドバイスと原点を振り返るような言葉を貰うことになる。

それは、芸人と小説家の「切り替え」も大事だが、それと同時に「つながり」も大事だということ、そして小説の面白さとは悩みに悩んで生まれた「破綻の面白さ」だということだ。

又吉が今まで自身の小説に盛り込まなければならないと勝手に思い込んでいた「個性」や「面白さ」は、実はわざわざ作り込まなくても既に彼の小説に生きている。それに気づいた又吉は大衆性に向けての「恋愛要素」ではなく、より文学性の強い「劇作家の苦悩」を書くことに力を注いだ。

 

こうして完成したのが又吉直樹の第二作「劇場」だ。

デビュー作で賞を受賞し、ベストセラーになったからといって何か悟ったつもりでも、それは何の役にも立たないとわかった。第二作はまた、デビュー作とは全く違った生き物であり、最初からやり直すつもりで書かなければいけない。さらに本当の勝負はというと、こちらもまだまだこれから先の話なのだ。

 

「劇場」を書き終えそれらを知った又吉は今日も二足のわらじでその「葛藤」を書きつらねていくのだった。

 

 

感想

告白しますと私は「火花」を読んでいません!理由はそれほどお笑い好きではない私にとって「芸人を目指す主人公」という部分がただ単に魅力的に映らなかったというだけです。でも小説そのものは面白いと聞いていたので、第二作が出たら読んでみたい!という興味はありました。ちなみに又吉さんのあの独特なテンションは好きです。

今回は番組内で第二作の内容を朗読しちゃっていました。個人的にその中で気に入った箇所がいくつかあったのでこちらは読んでみたいと思いましたね。例えば公開されていた中で…

家の鍵を開けると、沙希が焚いたお香の匂いがした。部屋に灯りがともる。僕より先に慌ただしくソファーに腰を降ろした沙希が僕を見上げて、「ここが一番安全な場所だよ!」と笑顔で言った。その言葉はいつまでも僕の耳に残った。たしかに、あの部屋が一番安全な場所だったのだ。

又吉直樹「劇場」より

という風な場面があるのですが、これは実際に又吉さんが下積み時代に思いきって買った3万円のソファーから生まれた描写なんですね。先の見えない生活の中、このソファーに寝転ぶ時だけはささやかな幸せを感じられたという体験を組み込んだものです。こんなに小説の中身を放送しても良いのか?と思いましたが、まぁ宣伝も兼ねての番組だったのでしょうね。結構印象的なフレーズを拾って紹介していたので、狙ってるなと思いました。

 

番組の全体的な感想を一言で表現すると「羨ましい!!」です。私も昔から小説家に憧れたことだけは何度もあるので、本人は苦しんでいるのでしょうが私にとっては、それさえも羨ましい悩みだなぁと思って見ていました。

何を書いたら良いか話が頭に降りてこない!と葛藤を口にしていた場面でも、その取材に答えていた内容からストーリーが作れるのでは?というくらい本格的に作家をしていて憧れましたね。

しかし、芸人をしながら作家もこなすというのはハードすぎますよね。だって普通に名の通った芸人さんなわけじゃないですか。こちらが想像する以上に多忙な業界だと思うんですよね。私の好きな某有名作家さんも執筆のためには他の仕事を休職してたりするので、又吉さんも今後このペースで続けられるんだろうかと気になるところではあります。

 

それでも好きなことを仕事にできるって良いですね!好きなことが悩みになるという辛さはあるかもしれませんが、それでも好きなことですからね。何でも悩みは付き物なら嫌いなことをイヤイヤしながら苦しむよりは良いかな…と感じます。私も好きなことで食べていきたーーい!と思う番組でした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

冬季アジア札幌大会から宇野昌磨選手をピックアップ!

2017冬季アジア札幌大会のフィギュアスケート男子シングル宇野昌磨選手の演技を振り返りたいと思います。

 

 

SPの結果

 

4F2ft 4Tso+COMBOぬけ 3A

 

演技中では一見、片足着氷に見えた冒頭の4Fがスロー再生で見ると両足着氷でした。(私はスローで見るまで気づきませんでした)続いて4Tからのコンビネーションジャンプではセカンドをつけれず単独に。3Aは成功し、合計 92.43点となりました。

予想していた点数より1,2点は高かったけど、やはりPCSが44.00というのもあり、ジャンプ以外の要素もきちんとこなせている選手は強いなぁと改めて思いました。(ちなみにTESは48.43点)

 

 

衣装

SPでは衣装が上はブルー下は黒に変わっていました。
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何色でも似合うのが宇野選手の強み。

 


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四大陸選手権まで使用していたこっちは最初全身ラベンダー色でワオ!と思っていたけど、何かいつのまにか私の中で「むしろコレじゃなきゃしっくりこないわ!」という領域まできてたんですよね(笑)凄く体にフィットしているように見えたから動きにくかったのかな?

 

 

インタビュー

SPのインタビューでは反省点を振り返り、今の思いや考えを熱心に話していました。何かしゃべりが上手くなってる??羽生選手や三原選手もそうだけど、宇野選手は、今の自分に足りないものや、今後の課題を明確に分析できるところが素晴らしいと思います。さらに自分に甘くないだけではなく、強みとする部分や評価されている点もきちんと生かそうとしている姿勢が演技から伝わってくるところが良いですよね。

 

スポーツナビ」からのインタビューよりhttp://m.sports.yahoo.co.jp/column/detail/201702240010-spnavi?p=1

(厳しいスケジュールについて)

僕以外にもたくさんこのハードスケジュールのなか来ている選手もいます。スケジュールがハードだからと言って、失敗をそのせいにするのは良くないかなと思うので、この4日間で調整できなかった自分のミスだと思います。

ちなみに時差ボケは今回なかったので、そこら辺はgoodだったようです。

(点数について)

 点数は内容より少し出たかなとは思います。点数が出たのはすごくありがたいことだとは思うんですけど、やはり自分の演技ができなかった、出しきれなかったことの方が悔しいです。

 トウループでコンビネーションが付かず、コンビネーションがないというのは大きな失点かなと思うんですけども、1個めの(4回転)フリップも左足を軽くついていて内心ではツーミスだと思っています。

 SP後は褒めるところがなかったというくらい集中しきれなかった自分を悔やんでいました。しかし弱い部分をはっきり口にできる選手は強いぞ!

 

 

FSの結果

FSでは冒頭の4Loでの転倒や3Lz、4Tでステップアウトするなど少しミスが目立ちました。大事な3Aからの3連続ジャンプが単独になってしまい、最後リカバリーしましたが転倒してしまったのも残念でしたね。

しかし滑りの面では、前半~後半にかけて疲れを見せることなくよく動いていたのと、音に合わせたスケートは出場選手の中で一番光るものがあったと思います。

そんなFSの合計は281.27点。TESが103.14点、PCSは87.70点となりました。こうして見ると、ミスはあっても4回転が4つとアクセルがきちんと2本入るとかなり大きな得点になるので強いですね。FSではとにかくミスしてもコンビネーションはつけよう!と諦めずに頑張れたようですね。総合順位1位、金メダルでした。

 

【FP総合順位】

1 宇野昌磨 281.27

2 ボーヤン・ジン 280.08

3 ハン・ヤン 271.86

4 無良崇人 263.31

 

 

ボーヤンとの差

2位のボーヤンとはわずか1点差のギリギリ優勝でした。(ボーヤン総合280.08点)正直どっちが勝つかなぁ~というところでしたがPCSの差もあり宇野選手の優勝でした。

これには「宇野選手はミスがあったのに優勝なの?」という声もいくつかありますが、確かにSPFPのジャンプだけ見るとうーん…という結果ではありましたが、それ以外の要素を見るとやはり宇野選手は一歩上をいってると思うんですよね。そこを含めてボーヤンと宇野選手を評価すると難しいものがあります。多分これからもっと評価が上がってくる選手なんじゃないでしょうか。宇野選手自身はこういった僅差の勝ち方は喜べるものではないと話していたので、少々微妙な心境だったのかもしれませんね。

あ、ここまで書いて気づいたけどボーヤンのことだけ呼び捨てで書いてた!ごめんボーヤン。ついつい親しみ込めてボーヤン呼びしちゃう。

まぁ僅差で勝つと色々な意見でてくるのは仕方ないですね。まー今回ばかりはどちらも金メダルみたいなもんよね!メダリストの皆さんおめでとう!

 

 

ちょっと番外編

①ハンヤンが進化しています…!!何かただスケーティングが良いだけでなく表現者になっている!!今日だけでファンが増えていそうな予感。

 

②第一グループの選手たちの頑張りに泣けました…。みんな諦めずにジャンプを挑戦していく姿は応援したくなっちゃいますね!笑顔もとても素敵でした。

 

NHKの解説が「愛」に満ちていて好きです。流石です。

 

④応援席で小塚崇彦氏発見

 

 

まとめ

今大会は四大陸選手権後すぐの試合のため選手にとって調整も何もない状態だったと思います。選手の皆さんお疲れ様でした。

宇野選手は自国開催の大会ということもあり世界選手権前にかかわらず変なプレッシャーで心身共に疲労してしまうのでは…と心配していましたが、本人は段々と自信がついてきたのか気持ちの切り替えが早くなってきているように感じましたし、こちらが思っている以上に強い選手でした。

逆に女子の本郷選手は急な四大陸選手権の出場を挟み、調整が上手くできない中でまさかの坂本選手欠場という日本から一人だけの出場となってしまい色々と気持ちが追いつかなかったのかな?と思います。

ただ、SPFPの演技を見るともう精神論だけではどうにもならない域まできているようで、とても心配です。あの状態が長く続けば続くほど復活までに時間がかかってしまいそうで…。どこかで本郷選手をサポートしてくれる人や環境があることを願います。

 

この冬季アジア大会は大会によって採用するかどうかはお任せされているのですが、同じ国にメダルは2個までという不思議なルールがありました。(運動会でみんな1位みたいな)

そんな中でも日本は金27銀21銅26の合計74個のメダルを獲得しました!合計メダル数1位です!パチパチ~!スピードスケート強すぎてびっくりしましたよ。今から平昌オリンピックが楽しみですね!

 

さいごに男子は4回転の数で勝敗が決まってくるなぁという感想をつけておわりになります。ここまで読んでいただきありがとうございました!

 

2020TOKYO みんなの応援計画 87歳のサムライガイドなど

2017年2月24日にNHK Eテレで放送された「2020 TOKYOみんなの応援計画」のまとめと感想になります。

 

あらすじ

2020年の東京オリンピックまであと3年と気運が高まる中、その日に向けて動き出している様々な人たちの取り組みをご紹介します。今回はサムライ姿で京都を案内する87歳のジョーさん、初めて漢検1級に合格したアメリカ人、そして世界に盆栽の魅力を伝える親方の以上3名に密着しました。

 

 

1 京都の名物サムライガイド
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とある日のAM10:00、京都市役所前。そこに一人の男性が現れた。立派なひげにちょんまげ、そして侍の格好をしたその人物の名はジョー・岡田(87)。彼は京都で外国人観光客向けに"クール・京都・ウォーキング・ツアー"なるものを行うツアーガイドをしている。このツアーは京都市役所~出町商店街までの5kmを5時間かけてひたすら歩くというもの。この日も6ヵ国から12名の参加者がおり、たいへん人気があるツアーのようだ。

最初に一行が訪れたのは自転車の駐輪スペース。毎月2,800円払えば駐輪場をレンタルできるという機械式の地下駐輪場だ。いかにもな日本的テクノロジーに興味津々な参加者たちはガイドブックには載っていないスポットに喜び写真撮影をして満足そうにしていた。

続いてやって来たのは寺町通り。ここでは古書店で掛け軸を見たり、老舗の墨屋で書道教室を楽しめるしくみになっていた。ここで面白いのが、古書店では真面目に日本文化を学べるのに対し、墨屋の書道教室ではジョーさん直々の指導のもと、一人一人が日本語で自分の名前を書き、下手だと容赦なく「B-」という評価をもらえるというシュールな体験ができることだ。こうした参加型・体験型ツアーもこのツアーの特徴であり、外国人観光客の間では人気らしい。

ちょっと小腹が空いたのでしばしの休憩を兼ねて、いなり寿司ならぬ"いなり串"を食べることに。実はこれもジョーさんがツアーのために予めお店に頼んで用意した特別メニュー。また、ちゃんと喉を潤すために日本酒まで用意してあるという心遣いだ。

 

ジョーさんは戦後まもなく米軍キャンプで働いており、そこで出会ったアメリカ人夫婦に気に入られ、彼らと一緒に渡米した。そこでは運転手として働き、帰国後は通訳案内士の免許を取得した。最初は大手旅行会社の専属ガイドをしていたのだが40代で独立し、現在に至る。侍の格好をしているのは、アメリカにいた当時、たくさんの人から侍について聞かれたため、こうした人々の関心に応えたいと思ったから。ちなみに現在このツアーのプログラム中にもジョーさんによる成功率8割の"空中リンゴ切り"という刀さばきを披露するコーナーがある。

京都御所を観光し、時刻は早くもPM3:00。ツアーの最後はみんなで食事をとって終了になるのだが、何とこの日、ジョーさんはごはんを注文し忘れてしまい慌ててスーパーに駆け込んだ。用意したのは寿司と商店街の方が作ってくれた揚げたてのコロッケ、そしてビール。ベジタリアン用には野菜のみを使用した太巻きもある。

最後は酔っぱらっていたこともあり(?)少々ミスもあったが何とかギリギリセーフで無事にツアーは終了した。そして参加者たちの感想からは好評さが窺えた。

そんなジョーさんの目標は、2020年東京オリンピックまで現在の状況をそのまま保持して、ツアーを行うこと。

 

~ちょっとどこか自由なジョーさん。ツアーのおわりは商店街の真ん中で三三七拍子をして解散するんですよ。面白いですよね。お酒はほどほどにしてこれからも長生きして頑張って欲しいです!~

 

 

2 漢検1級 漢字オタクのアメリカ人
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静岡県浜松市にいる強烈な漢字オタク、ブレット・メイヤー。彼は合格率1割以下の漢字検定1級をアメリカ人で初めて合格した強者だ。突然だがあなたは次のカタカナを漢字で書けるだろうか?

 

ショウジョウヒの衣装が美しい。

 

私はそもそもショウジョウヒの意味すら知らない。なんとなくキラキラした星っぽいイメージだろうか…と思っていたが正解は微妙に近く「猩猩緋」と書くらしい。ショウジョウとは架空の赤毛の猿のことで、緋とは赤色のことを言うらしい。つまり猩猩緋とはワインレッドに似た赤のことを意味する。こんな問題をスラスラ解き、説明していくメイヤーさん。彼はなぜこんなに漢字に詳しくなったのだろうか。

メイヤーさんは子どもの頃から大のアニメオタクで日本に興味を持っていた。大学時代には来日し、多くの日本文化に触れたその中で、出会い魅了されたのが漢字だった。すっかり漢字にハマったメイヤーさんは猛勉強の末、4年前に漢検1級に合格。今では「漢字はアート」と話し、昨年には外国人向けの漢字解説本を出版したり、漢字の素晴らしさを伝える役目として、ラジオでは"声だけで漢字の魅了を伝えるコーナー"を担当したりとその活動の幅を広げるまでに至る。

1月某日。メイヤーさんはこの日、外国人に日本語を教えるボランティアに向けての講演会を行っていた。ここでは外国人に漢字を教える方法をレクチャー。その内容はとても独特なものだった。例えば「敬虔(けいけん)」という漢字を覚える時に、ストーリーを浮かべるという考え方を用いると暗記が楽になると言う。敬虔の虔という字には虎と文という字が合わさってることから"あの虎は文字が読めるの?尊敬する!"という風に覚えれば外国人にとっては学びやすいという日本人からみたら思いもよらない斬新な発想だ。

メイヤーさんがここまで熱心に活動する目的には、外国人は漢字が大好きだけど変な意味のタトゥーを入れたり、Tシャツを着たりしているため、彼らがきちんと欲しい意味にあったものを選べるように自らの知識を生かしていきたいという思いがあるからだ。

 

~ここまで一つのことに夢中になれるのは素晴らしいことだと思いますね。もちろんその努力も。ちなみにメイヤーさんは手裏剣打検定の下忍も取得しているそうです。今後のさらなるご活躍を期待しています!~

 

 

3 世界のBONSAI親方


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東京都江戸川区。そこには外国人から人気の盆栽美術館がある。ここにはおよそ1000鉢の盆栽があり、一番高いもので1億円の価値があるという。親方の名は小林國雄。園芸農家に生まれた小林さんは20代の頃、盆栽の世界に魅了されたことから独学で盆栽を学び、41歳の時には内閣総理大臣賞を受賞したというまさに盆栽界の巨匠だ。今では海外で多数の講演を手掛け、自身の教室には世界各国から弟子や生徒が集まっている。

小林さんの1日はAM5:00から始まる。早起きをして初めに行うのは薪割りだ。寮生活をする弟子たちのために部屋を暖めるのだ。

AM10:30 弟子たちが起床し全員で朝食の準備をする。このように生活を共にすることで日本文化に大切な"気配り"を学んで欲しいという狙いがある。

朝食後はいよいよ教室のスタート。日本のわびさびを通訳を通し、言葉と実践で学んでいく。盆栽に必要なのは長い風雪を耐えた心を表現すること。余分な枝を切り取り、針金でうねりを出すことでそれらを生み出していく。こうした作品は長い年月をかけて草が生え、形を変え、完成されていくため自然そのものの美を感じる心を持つことを何よりも学ぶ必要があるようだ。

ちなみにここでの修行を終えると作業場に自身の名前が書かれた板を掲げてもらえるが、その逆は波紋と書かれたコーナーに名前が載ってしまうので入門したい方は覚悟をした方がいい。

そんな小林さんの目標は東京オリンピックで盆栽を飾り、独特な日本のわびさび、日本ならではの文化を選手に見てもらうことだ。

 

~確かに盆栽はオリンピックの緊迫した空気の中で、自然の持つ強さや威厳を放って選手に良いインスピレーションを与えてくれるかもしれませんね。そんな小林さんの思いが届くことを願います!~

 

 

感想

今回紹介された3つのストーリーはどれも面白かったです。サムライガイドのジョーさんはビール片手にツアーしていたり、87歳で5時間歩き回ったりと何ともタフすぎて凄いと思いました。でもいいですよね~元気なおじいさんって。私が同じ年だったらきっとそんなに歩けないだろうし、そもそも80まで生きれるんだろうかというレベルです。目標を持って、日々刺激を受けている人は、自らの人生を存分に謳歌できているからこそパワーに溢れ、輝いているんだろうなぁと感じました。好きなことをとことんやるということは一番の健康の秘訣かも。

 

また漢字オタクのメイヤーさんにも同じパワーを感じました。私なんて漢検といえば学生時代に取った準2級だけですよ(笑)しかもその動機は内申書に何か書ける資格があると良いという典型的なあるあるパターンで取ったもの。しかも携帯やスマホが出てきてからは日本人なのに漢字なんて凄い勢いで忘れてますから!私よりメイヤーさんや厚切りさんの方が詳しいんじゃないかと思われます。

メイヤーさんを見て私には、何か好きなもののために受けた資格なんてないなーと、ちょっぴし思いました。一度江戸時代についての検定を受けてみようと思ったこともありましたが、教材を集めるのが面倒で辞めちゃったんですよね。だから好きなものがあって、それにとことんハマれる行動力って羨ましいです。

 

盆栽の小林さんも独学で盆栽学んであそこまで花開くなんて、やはりこれも行動力なんだなと決定的に思いました!ここの美術館って以前Youは何しに日本へ?で紹介されていたところですよね?多分。日本文化を伝える仕事ってとても魅了的で、その度に自分も何かを伝える人になりたい!と思いますが、いつも思うだけで終わっちゃうんですよね。そこが成功者と凡人の違いか、なんて(笑)いやいや、でも今回そんな小林さんや、87歳でも頑張るジョーさん、異国から本国の人間より漢字を極めたメイヤーさんを見て少しは何かをチャレンジしてみるのもこわくはないのかも?と思ったので、まずはその気持ちを大切にしていきたいですね!

そんな風に考えたら目標を立てたくなりました。何をどうしようか…まず探すのも目標です。漠然と何かをしたい時や頑張っている人を見て自分も変わりたいと思ってる人がいたら一緒に頑張りましょう!

 

おわりに、2020年、東京オリンピックに向けて動き出している人たちの夢が叶うよう応援しています。ファイトー!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

脳を切る悪魔の手術ロボトミー【フランケンシュタインの誘惑】

2017年2月23日にBSプレミアムで放送された「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿▽脳を切る悪魔の手術ロボトミー」の感想とまとめになります。

 
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脳を切った男

今からおよそ80年前、ワシントンD.C.にあるジョージ・ワシントン大学病院で歴史的な手術が行われた。脳にメスを入れ、精神疾患を治療するという手術である。患者の病名は「激越型うつ病」、これは激しい不安に襲われ取り乱す病で、暴力をふるったり、自殺の衝動にかられたりする深刻なものであった。手術は患者の測頭部に穴を空け、長いメスをさしこみ脳の一部を切り取るといったもの。手術後、目覚めた患者は別人のように穏やかになり、すぐに退院していった。

この手術を執刀したのは精神科医ウォルター・フリーマン。彼はその後、数千人の脳を切ることになる。

 

 

祖父に憧れて…

1895年、フィラデルフィアの医者一族の長男として生まれたフリーマンは、世界初の脳腫瘍摘出手術に成功した脳外科医であり祖父でもあるウィリアム・キーンに憧れ医学の道を志した。フリーマンは名門エール大学を卒業すると医学学校へ進み、精神医学を専門として選んだ。当時、精神疾患は原因不明で治療法もほとんどなかったため患者は一度入院すると、なかなか退院できないことから病院は"絶望の施設"と呼ばれていた。

さらに行われていた治療といえば命の危険にあるものだった。頭部に高電圧の電流を流す"電気ショック療法"は激しい痙攣を引き起こすため背骨を折る患者もいた。また、マラリアにわざと感染させて高熱を出させる"マラリア療法"などもあり、それらのどれもが荒治療ばかりだった。

1924年、フリーマンは28才の若さでアメリカ最大の精神病院セント・エリザベス病院の研究所長に大抜擢された。祖父の期待に応えるためフリーマンは精神疾患の治療法をさがし続けた。脳に異常があるに違いないと睨んだフリーマンは死亡した患者の脳の解剖に明け暮れたが、特に異常は発見されなかった。

 

 

悪魔になるまで

1935年、ロンドンで行われた国際神経学会がフリーマンの人生を大きく変える。チンパンジーの脳の一部を切ると凶暴性が治まると発表されたのだ。すると神経科医のエガス・モニスが「その実験を応用すれば人間を救うことができるのではないか」と質問した。

翌年モニスは精神疾患を抱える患者20人の脳の一部を切ったと発表。これが精神外科の始まりとなった。モニスの論文によるとおよそ7割の患者が治ったか改善に向かったと報告されていたことからフリーマンはその手術にいち早く飛び付いた。

 

 

ロボトミー

1936年9月、フリーマンはヨーロッパから手術器具を集めると、さっそく手術に取りかかった。4ヶ月で6人に脳手術を行った結果、6人のうち3人は退院し、社会復帰を果たした。フリーマンがこの手術につけた名前は"ロボトミー"前頭葉を意味するLOBOと切るを意味するTOMYを合わせたラテン語由来の言葉だ。フリーマンはメディアを積極的に利用し、この手術を広めていった。患者は次々とフリーマンのもとを訪れ、ジョン・F・ケネディの妹ローズマリーも彼の患者の一人だった。

1945年、第二次世界大戦終結すると戦いで精神を病んだ患者たちで病院は溢れた。フリーマンはこれをロボトミーの普及のチャンスと捉えていた。

1946年、フリーマンは改良型ロボトミーを考案。それはアイスピックによる手術で、今朝入院した患者でも明日には退院できるというものだった。麻酔の代わりに電気ショックを使い昏睡状態にした後、目の裏側にある頭蓋骨の一番薄い部分に向けてアイスピックをさしこむ。そこから脳に分け入り神経組織を掻き切るのだ。所要時間はわずか10分足らずの実に簡単な手術だった。フリーマンはロボトミー普及のため全米各地でこうした手術を公開しに行った。その数は23の州で55の病院にまで及び、フリーマンとロボトミーの名前は瞬く間に全米各地に広まっていった。

 

 

失敗と言い訳

1949年になるとエガス・モニスがノーベル生理学・医学賞を受賞し、ロボトミーは世界が注目する治療法となり爆発的に広まった。しかしそんな喜びもつかの間、フリーマンとロボトミーに暗雲が漂い始める。何と手術による重篤な副作用が問題化したのだ。

 

ケース1

キャロル・ダンカンソンさんの母親アナ・ルースさんは偏頭痛に悩まされ、フリーマンのロボトミーを受けた。母親は活気に溢れ美しく、学生時代は成績も良く記憶力に優れ数学も得意だった。しかし、病院から帰ってきた母親は変わり果てた姿だった。トイレも自分で行けず、感情のコントロールも不能。情緒不安定になり、身なりも構わなくなった。

何より問題なのは、こんな状態になってもフリーマンは「頭痛は消え、痛みの不安はなくなった」と手術は成功し、約束通りの結果を出したと言うことだった。確かに頭痛は消えたがその代わりに、母親は家族と離れて暮らすことになり人生の多くを犠牲にした。

 

ケース2

家族に知的障害を疑われロボトミーを受けたローズマリーケネディも手術後、重い副作用に苦しみ老後施設に入った。彼女は死ぬまでの60年余りをここでひっそりと過ごしたと言う。

 

フリーマンの失敗はこれだけではない。

1954年、抗精神病薬クロルプロマジンがアメリカで認可され、ロボトミー同様の効果が得られることがわかると年間200万人が服用するほど広まった。一方フリーマンはというと、ロボトミーの対象を広めることに躍起になっていた。とにかく手術数を増やすため、ついに子どもにまで近づいていたのだ。

 

ケース3

12才のハワード・ダリーくんは父親の再婚相手と折り合いが悪く、暴力的なふるまいをすると継母にフリーマンのもとへ連れてこられた。するとフリーマンは彼女の言い分のみで統合失調症と診断し、ハワードくんはロボトミーを受けることになってしまった。

当時の少年ハワード・ダリーくんは現在68才になっており、今回番組の取材を受けてくれた。ロボトミーを受けてから50年余り経つ今はバスの運転手をしていると言う。

「手術前に受けた電気ショックがとても怖かったことを覚えています。でもそのあとはよくわからなかった。とても目が痛かったのですがなぜなのかわかりませんでした。霧の中にいるようでぼんやりしていたのです。」

この手術を受け、ハワードくんが大人しくなったと判断したフリーマンは、彼を連れてその成果を発表する。しかし、そこで待っていたのは非難の嵐だった。

「まだ子どもじゃないか!」「恥を知れ!」「医者失格だ!」

 

ハワードくんの当時のMRI画像を見ると前頭葉の一部に穴が空いていた。手術後、養護施設を転々とし、ホームレスになったこともあると言う。

ロボトミーを受けてから精神的に弱く傷つきやすくなったと思います。何をするにも意欲が無くなりました。特にそれを感じます。今でも人生をよりよくしたいと思ってはいるのです。でも長続きしません。すぐに諦めてしまいます。」

 

 

暴走の行く末

フリーマンが全米にロボトミーを広めた結果、ロボトミーは暴走を始める。反社会的人物を矯正するという目的で犯罪者や同性愛者にまでロボトミーが行われた。

しかし、その暴走は長くは続かなかった。フリーマンとロボトミーの実態が1962年に発表された小説ケン・キージー著「カッコーの巣の上で」で告発されたのだ。この小説は映画化され、アカデミー賞の主要5部門を独占。人間性を踏みにじるロボトミーの恐ろしさが世界中に知れ渡った。

 

 

犠牲から生まれたもの

1953年、ある手術の失敗が脳の解明を推し進めた。てんかん発作を繰り返していたヘンリー・モレゾンもまた、脳の一部を切り取る手術を受けた。手術後、発作は治まったが重大な記憶障害になってしまう。言葉や知能に問題はないが、今日の日付が覚えられなくなっていた。

彼が受けた手術は前頭葉を切るロボトミーとは違い海馬を切るものであった。1955年、脳科学者のブレンダ・ミルナーがモレゾンのもとへやって来た。彼女がモレゾンに自己紹介をすると彼は「誰かの役に立てることが嬉しいんですよ」と答えた。

ミルナーはまずモレゾンに5、8、9という数字を覚えるように言うと、彼はそれらを復唱することができた。次に先ほど自己紹介したミルナーの名前を聞くと、答えることはできなかった。しかしミルナーが「カナダ」という単語を口にするとモレゾンは「カナダのトロントに行ったことがあります」と話した。この調査の結果、モレゾンには少し前の記憶は15秒しか残らないが、古い記憶はあることがわかった。また、新しい記憶には海馬が必要だということもわかったのだ。悲しいことに、それは手術の失敗により新たな医学の進歩が生まれた瞬間だった。

その後もモレゾンのもとには100人以上の研究者がやって来た。その度に彼は「誰かの役に立てることが嬉しいんですよ」と繰り返した。

 

 

恐怖のおわり

カリフォルニア州にあるへリック記念病院は1960年代にフリーマンの行うロボトミーを唯一許可していた病院である。しかし1967年の2月にロボトミーを受けた患者が死亡してから病院は許可を取り消し、フリーマンのロボトミーは終わりを迎えた。それから5年後、フリーマンは癌により76才でこの世を去った。

フリーマンの死から8年後の1980年。精神疾患について初めての客観的な診断基準が作られた。それは現在でも使用され、その診断基準の中心となっているのは病特有の症状だ。例えばうつ病は激しい体重の変化や睡眠の量などを医者が問診や観察で見極めて診断を下す。しかし、未だに科学的救命には至っていないのが現実である。

 

フリーマンはロボトミーを失った晩年の1968年に再び旅に出た。診療所を閉鎖し、家を売り払った金を旅費に当てた。目的は元患者を訪ねる旅だ。6ヶ月に及んだ4万キロの旅で600人以上の消息を確認、その中で230人が退院していたことがわかると、結果を得意気に論文で発表した。しかし、それに興味を示すものなど誰もいなかった。

 

旅の途中、気分が高揚したフリーマンは日記にこう綴った。

 

"アクセルを踏みたくて足がムズムズする。疲れや空腹などお構いなしに走り続けられる。"

 

 

感想

2、3日前に前回の記事をツイッターでいいねして下さった方がいて、それを見たこの番組のプロデューサーさんからまたしても「ロボトミー見てくださいね」的なメッセージを頂いたので嬉しくてブログに書いちゃいましたよ。嬉しいです。

さて、番組の感想ですが私にはこのフリーマンさん自身が心に闇を抱えていたように思えてなりません。精神科医を選び、あの異常なほどの患者を"治してあげたい"という気持ちは医師としては立派だけど、実際は病に対する苦しみがわかるからこそ、その思いが強かったんじゃないのかなという気がします。

彼は幼少期から孤独と共に祖父に対するコンプレックスのようなものを抱えていました。それはいつしか自身を縛り付け、あってはならぬ方向へ暴走してしまいます。

ロボトミー普及のために全米を飛び回った際に"ロボトモビル"と自ら名付けた車で移動していたフリーマン。彼の脳に対する執着はある意味誰にも理解されない、目には見えない病だったのでしょう。

現代社会では心の病を患っている人はとても多いです。そこには、こども~大人まで年齢関係ありません。これは時代のせいなのか、診断基準のせいなのか、他の何かか、わかりませんが体の病にしろ心の病にしろ健康な状態より生きにくいのは確かです。

そもそも心の病という言い方も適切ではないでしょうね。心という言葉を使うと感情的なイメージが先走り、患者にとって理解とは遠い偏見を抱かれやすいのかもしれません。

現段階では、精神疾患に対して、その原因はまだまだ解明されていないため一般的な病気との認識の差に開きがあります。例えばどこかで殺人事件が発生し、逮捕された犯人に精神疾患があった場合、犯行理由は病気のせいだと繋げることも珍しくありません。そういった話が広まれば精神疾患イコール危険だと間違った考えを生み出してしまう恐れがあります。しかしながら世の中の多くの犯行は病気とは無縁の人間が行ったものです。社会に間違った情報が流れないためには、まずは病気を知ることが大切だと思いました。社会の理解という行為だけでも患者にとっては治療法のひとつなるのではないでしょうか。

アメリカでは強迫性障害の患者のみにガンマナイフによる治療が認められているそうです。しかしこの治療では20人に1人が重篤な副作用を起こす危険性もあり、十分な治療法とは言えません。科学は失敗の繰り返しから生まれますが、医療に失敗は許されません。「どうなるかわからない」うちは簡単に広めてはいけないものです。しかし、医師たちの治したい、救いたいという気持ちから数々の治療法が発見されていることも事実です。

もちろん患者は実験台ではありませんが、何かの発見の裏には何かしらの犠牲が生まれて成立しているということを私たちは忘れてはいけません。

 

ロボトミー、ある人たちの人生の大半を奪った悪魔の手術。そこには人間社会全体の深い闇が隠されていました。

 

 

 

中国王朝 よみがえる伝説 悪女たちの真実 楊貴妃

2017年2月22日にNHKBSプレミアムで放送された「中国王朝 よみがえる伝説 悪女たちの真実 楊貴妃」のまとめと感想になります。


 
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楊貴妃の誕生

楊貴妃の名は玉環といい、蜀の国(現在の四川省)で下級役人の娘として育ちました。やがて玉環は成長すると、都 長安の近くの大都市で踊り子になります。その美貌はたちまち評判となり、皇帝 玄宗の妃 武恵妃の目に留まると、宮廷に入り、17才の若さで武恵妃の息子寿王の妃となりました。しかし息子の妃のあまりの美しさに惹かれた玄宗は息子から玉環を奪ってしまうのです。この時、玄宗は60才で玉環は26才。玉環は間もなく貴妃という称号を賜り、"楊貴妃"と呼ばれるようになりました。

 

 

妃の美貌に溺れる日々

当時の長安は100万人近くが住む世界最大の都市でした。シルクロードとの交易で経済は繁栄し、文化面でも絶頂期を遂げ李白杜甫などの詩人が活躍しました。

楊貴妃は躍りや歌が上手で頭の回転も早く、気配りも人並み優れていたと言われています。楊貴妃はこうした皇帝を楽しませる芸術の才能を持ちながらも、巧みな気配りで人を惹きつけることにも長けていたのです。すっかり愛欲に溺れた玄宗は次第に政治を疎かにするようになっていきました。

 

 

この世を謳歌する楊一族

楊貴妃玄宗の寵愛を得たことで彼女の一族も次々と取り立てられました。3人の姉は高い地位を与えられ、皇帝から豪華な屋敷を手に入れると、贅沢な暮らしを送るだけに留まらず、宮廷の人事にまで口出しするようになりました。さらに一族の男たちも宮廷内での要職を得ていき、その中でも楊貴妃の又従兄弟にあたる楊国忠は宰相にまでのぼりつめました。何とこの楊国忠、故郷では賭博に明け暮れてばかりの男でしたが、皇帝に取り立てられてからわずか7年で宰相になると、宮廷内を牛耳り出し、賄賂で私腹を肥やすようになります。

こうして権力を欲しいままにする楊一族。しかし、755年、大きな反乱が起こります。"安史の乱"です。楊一族を除けと兵をあげたのは武将 安禄山長安を陥落させると自ら皇帝を名乗り一時期唐を支配します。繁栄を極めていた都 長安はあっという間に荒れ果て、その光景を前に杜甫はあの有名な詩をうたいます。

国破れて山河在り
城春にして草木探し

都の荒廃を嘆く杜甫は反乱までの経緯を振り返り、原因は楊貴妃にあったと厳しい目を向けたのです。

 

 

破滅への幕開け

実は玄宗が幼い頃の宮廷は激しい混乱の中にありました。君臨していたのは中国史上唯一の女帝 則天武皇。彼女は息子の中宗から権力を奪い皇帝となっていました。彼女の死後、今度は中宗の妃 韋后が中宗を毒殺し権威を奪おうとします。これに対し玄宗のおば太平公主が韋后を殺害。女性たちが皇帝を蔑ろにし、権力争いを繰り広げた中、その混乱を父と共に収めたのが玄宗でした。

この事件をきっかけに女性を恐れた男性たちは「男子居外 女子居内」つまりは"男に外を任せ、女は内を守るべし"という儒教の考えを国に深く根づかせていくことになります。これが後に国を破滅する要素となり得るとは知らずに……。

 

 

安禄山楊国忠

楊貴妃玄宗の運命は安禄山楊国忠という二人の人物によって大きく変わりました。まずは安禄山の歩みから見ていきます。

 

安禄山

安禄山はもともと玄宗の宮廷につかえた軍人でしたが、その執事が唐書に"胡人(以下ソグド人)"と記されています。唐はシルクロードを通して東西の交易が栄えた時代でした。長安から西は遥かローマまで続くシルクロード。その中継点であるサマルカンドなど中央アジアで活躍したイラン系の民族がソグド人です。近年、西安では様々な遺跡からシルクロードにかかわる物が発掘されているそうです。こうしたことから、最近の研究ではシルクロードの交易を支配していたのはソグド人だったと言われています。

では安禄山が実力者となった理由は何か見ていきたいと思います。その背景には玄宗がとった異民族政策にありました。唐は建国以来、異民族の侵入に悩まされていました。それに対処するため玄宗が注目したのが国境をまもる軍司司令官"節度使"です。これに漢民族だけでなく、軍司に秀でた異民族も登用したのです。異民族の力で異民族を征す、その一人として北京の東 平盧の節度使となったのがこの安禄山でした。

以後、安禄山は宮廷の中で着々と実力をのばしていくことになります。そのきっかけとなったのは746年、楊貴妃が妃となった3年目の春、安禄山玄宗のもとを訪れたときのことでした。彼が楊貴妃の前に跪き挨拶をすると、当時挨拶はまず皇帝からするのがしきたりだったため玄宗はその非礼を強く咎めました。すると安禄山は「ソグド人のしきたりでは先に母に礼をすることになっています。私はそれに従ったのです。」と答えました。すると玄宗はソグド人流の最上級の礼をもてなしてくれたと安禄山をすっかり気に入ってしまいます。さらにこの時、玄宗安禄山による"楊貴妃の養子になりたい"という申し出を受け入れてしまいます。こうして安禄山楊貴妃の14才年上の子どもになることに成功しました。

この安禄山を主役の一人とする宮廷での権力争いが、やがて唐王朝を破滅へと導いていくことになります。

 

次に安禄山の争い相手となる楊貴妃の一族、楊国忠について見ていきます。

 

楊国忠

2015年、楊一族の故郷である蜀の国(現在の四川省)で新しい事実が明らかになりました。長安から蜀の国まで続く街道で巨大な唐中期の磨崖仏が発見されたのです。磨崖仏がつくられたということは、この通りが大きかったことを示します。街道の先にある蜀の国は絹や米、塩の産地でした。この道はかつて楊貴妃の好物だったライチを運ぶためのものだと考えられていましたが、それは目的の一つに過ぎず、本当は長安と蜀との物産や情報の流通に使おうとしていたことがわかりました。

蜀は楊一族の故郷でもあり、学のない楊国忠には自分を支える基盤が必要でした。その時支えとなったのが蜀の人脈です。蜀側も彼を通して地位を高めたいという共通認識でありました。金銭勘定が得意だったことで玄宗に徴用された楊国忠は蜀との交易を通して自らの経済基盤を強化していきました。そして政敵を次々と追い落とし安禄山に対抗したのです。

 

 

異民族が呼び起こしたもの

玄宗の時代の都には日本からの多くの遣唐使も訪れました。2004年、中国で亡くなった遣唐使墓誌が発見され、そこには日本人の井真成(いのまさなり)の名が綴られていました。

"彼の才能は天から授けられたものと称えられ、生まれながらに優れていた"

彼が亡くなった時、玄宗はその死を惜しんで特別な扱いで葬ったとされています。このように、彼の他にも様々な外国人が玄宗の宮廷では活躍していたことがわかっていますが、そこには地理的にも国際化せざるを得なかったことが見えてきます。しかし、玄宗の時代に国際化が進む一方でそれに抗う空気も広がっていました。

唐の時代の法律の注釈書には、交易についての法律の中で異民族のことを"化外人"と記してあります。化外人とは儒教の教えに従わない野蛮な人たちという意味の差別用語で、異民族に対する強い警戒心が伝わってきます。

異民族への寛容さと反発が同居する玄宗の宮廷。それは楊貴妃一族を描いた謎の絵からも窺えます。


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(画像はすべてWikipedia)

こちらは「虢国夫人遊春図」という楊貴妃の時代の風俗が描かれた貴重な風俗画です。ちょっと大きい画像が中国のサイトからしか見つからず用意できなかったのですが、先頭で馬を率いる男装した人物が楊貴妃の姉の虢国夫人と思われています。こうした服装は異民族のファッションで当時の流行でした。しかし、実はこの絵の女性は虢国夫人ではないという考えもあります。それについて説明してくださったのは奈良橿原考古学研究所所長の菅谷文則さん。菅谷さんはその理由として、虢国夫人が男装をしていたという資料がないことと、(これもまた分かりにくいのですが)身分の高い女性を示す馬のネックレスをした方の女性が虢国夫人ではないのかということをあげています。ここで大切なのは、虢国夫人は男装などしていないのではないかという新たな考えです。合わせて次の絵をご覧ください。


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「唐人宮楽図」という唐の時代の宮廷の女性たちを描いた絵で女性たちは、頬を赤く塗り、額には花鈿と呼ばれる模様を描いています。これらはインドなどシルクロードから伝わったメイクで、当時宮廷では西域のファッションやメイクが流行していました。ところがこの絵の虢国夫人はメイクの痕跡がなく素顔で、漢民族の伝統衣装を身につけています。ここから読みとれるのは、"なぜ漢民族の美しさを、異民族の美の基準に合わせなければならないのか"という民族としてのプライドです。おそらく虢国夫人はこうした異民族ファッションを好んでいなかったと推測できます。高位高官の夫人がそのような思想を持ったらどうなるでしょうか。それは社会である一定の力になったのではないかと言われています。

 

 

そして動き出す歴史…

楊国忠がさらなる権力のために取り除かねばならなかったのが、異民族であるソグド人の安禄山でした。安禄山は3つの節度使を兼ね15万の兵力を動員できる実力者になっていました。楊国忠安禄山を落とし入れようと玄宗に何度も告げ口を繰り返すようになります。

安禄山は必ずや反乱を起こします!」

これを知った安禄山玄宗に拝謁、異民族の身でありながら高い位を与えられたことに感謝すると共に楊国忠の妬みで窮地に追い込まれたと涙ながらに訴えました。安禄山の巧みな言葉に玄宗の信頼は揺るぎません。一方、楊国忠は財力で強力な派閥を作り宰相にのぼりつめていました。こうして二人の激しい争いは留まることを知らずに動き出していったのです。

 

 

動き出せない歴史

自らの一族を率いる楊国忠、自らの養子でもある安禄山。二人の対立の中で楊貴妃は宮廷でどのように行動したのでしょうか。当時は則天武皇のことがあり、女性が表に出ることが許されない時代、楊貴妃は政治の話を聞くことさえできない状態でした。自身の知らぬ場で何かが決定し、動いていく。もしこの時女性にも政治を行う権利があったのなら歴史は違う方向へ動いたかもしれません。

楊貴妃が宮廷に入ってから10年後、安禄山楊国忠の争いは決定的となります。玄宗は信頼する安禄山楊国忠と並ぶ宰相に取り立てようとしました。ところがこれに激しく反発した楊国忠玄宗に「文字も書けない安禄山を宰相にすると唐王朝は周辺の異民族から軽蔑されます!」と忠告します。これにより、今までは楊国忠の告げ口を聞き入れることのなかった玄宗ですが、この時ついに安禄山の昇進を見送ることにしたのです。

 

 

逆襲、そして崩壊へ

失意の中、任地に戻った安禄山は部下と共に兵をあげ反乱を起こしました。反乱軍の兵は15万。戦いになれた安禄山の軍は唐の軍を次々と破り、都 長安に攻め入ります。玄宗楊貴妃と一族を引き連れ楊一族の拠点蜀へと脱出しますが、その途中玄宗を守る兵たちの不満が吹き出します。まず反乱の原因は楊国忠にあると彼を殺害、さらに一族を次々と手にかけた後、ついには楊貴妃も殺すように玄宗に迫ります。

玄宗楊貴妃に罪はないと庇いますが兵の怒りは治まらず、結局楊貴妃の命を差し出します。

 

楊貴妃38才のことでした。

 

破竹の勢いを示した反乱軍でしたが、間もなく安禄山が内紛で殺されたことをきっかけで弱体化。やがて玄宗は勢いを取り戻した唐の軍と共に長安に戻ります。しかし都 長安がかつての繁栄を取り戻すことは2度とありませんでした。

 

 

唐帝国を傾けたとされる楊貴妃。その生涯は王朝が興亡を繰り返す歴史の中で君主の戒めとして語り継がれていくのでした。

 

 

感想

実はこの歴史の核となる部分は現在の世の中で起きていることと変わらない気がします。よく歴史は繰り返すなんて言いますが、異民族や宗教に対する問題なんてまさに同じですよね。告げ口外交みたいなやりとりまでありますし(笑)やはりこの問題は人類にとって永遠のテーマなんでしょうか。

悪女と呼ばれた楊貴妃も美貌を持ったあまりにこんな人生を歩まなければいけなかったのかなとも思います。楊貴妃は最後、玄宗に命を差し出された時「死んでも恨みません」という言葉を残したそうです。まるでいつかこの日が来ることを覚悟していたのでしょう…そして自身が歴史の渦の中で完全完璧なる悪者にされることも悟っていたでしょうね。

もとを辿れば権力争いに狂った者たちの破滅の繰り返しと言えますが、大国というものには、それだけ大きな問題に悩まされ、また役割も求められることで常に限界と戦わなければならない難しさがあるのだなと感じました。

 

また、中国ではよく歴史上人物の像にイタズラをすることもあるそうで、楊貴妃像もそんな経験があったとかいうニュースを以前目にしたことも思い出しました。美人はいつの世も大変ですね…。

しかしながらこの楊貴妃、実は政治には介入していなかったということもあり、良い人説なんかもあって今でも謎めいた魅力のある女性ですよね。美人一人の存在で目の前が見えなくなっちゃう玄宗さんも凄いけど、人って皇帝という立場でもそんなもんなんですかね?!私にはわからない不思議な世界です。

とにかく上に立つ人間の考え一つで、国の方向がこんなにも左右されるということが歴史のすべてですね。だからこそ国のために判断し、動ける人材を社会が生み、育てることが一番大切なんだと思いました。

 

以上でおわりになります。最後まで読んでいただきありがとうございました!