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脳を切る悪魔の手術ロボトミー【フランケンシュタインの誘惑】

2017年2月23日にBSプレミアムで放送された「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿▽脳を切る悪魔の手術ロボトミー」の感想とまとめになります。

 
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脳を切った男

今からおよそ80年前、ワシントンD.C.にあるジョージ・ワシントン大学病院で歴史的な手術が行われた。脳にメスを入れ、精神疾患を治療するという手術である。患者の病名は「激越型うつ病」、これは激しい不安に襲われ取り乱す病で、暴力をふるったり、自殺の衝動にかられたりする深刻なものであった。手術は患者の測頭部に穴を空け、長いメスをさしこみ脳の一部を切り取るといったもの。手術後、目覚めた患者は別人のように穏やかになり、すぐに退院していった。

この手術を執刀したのは精神科医ウォルター・フリーマン。彼はその後、数千人の脳を切ることになる。

 

 

祖父に憧れて…

1895年、フィラデルフィアの医者一族の長男として生まれたフリーマンは、世界初の脳腫瘍摘出手術に成功した脳外科医であり祖父でもあるウィリアム・キーンに憧れ医学の道を志した。フリーマンは名門エール大学を卒業すると医学学校へ進み、精神医学を専門として選んだ。当時、精神疾患は原因不明で治療法もほとんどなかったため患者は一度入院すると、なかなか退院できないことから病院は"絶望の施設"と呼ばれていた。

さらに行われていた治療といえば命の危険にあるものだった。頭部に高電圧の電流を流す"電気ショック療法"は激しい痙攣を引き起こすため背骨を折る患者もいた。また、マラリアにわざと感染させて高熱を出させる"マラリア療法"などもあり、それらのどれもが荒治療ばかりだった。

1924年、フリーマンは28才の若さでアメリカ最大の精神病院セント・エリザベス病院の研究所長に大抜擢された。祖父の期待に応えるためフリーマンは精神疾患の治療法をさがし続けた。脳に異常があるに違いないと睨んだフリーマンは死亡した患者の脳の解剖に明け暮れたが、特に異常は発見されなかった。

 

 

悪魔になるまで

1935年、ロンドンで行われた国際神経学会がフリーマンの人生を大きく変える。チンパンジーの脳の一部を切ると凶暴性が治まると発表されたのだ。すると神経科医のエガス・モニスが「その実験を応用すれば人間を救うことができるのではないか」と質問した。

翌年モニスは精神疾患を抱える患者20人の脳の一部を切ったと発表。これが精神外科の始まりとなった。モニスの論文によるとおよそ7割の患者が治ったか改善に向かったと報告されていたことからフリーマンはその手術にいち早く飛び付いた。

 

 

ロボトミー

1936年9月、フリーマンはヨーロッパから手術器具を集めると、さっそく手術に取りかかった。4ヶ月で6人に脳手術を行った結果、6人のうち3人は退院し、社会復帰を果たした。フリーマンがこの手術につけた名前は"ロボトミー"前頭葉を意味するLOBOと切るを意味するTOMYを合わせたラテン語由来の言葉だ。フリーマンはメディアを積極的に利用し、この手術を広めていった。患者は次々とフリーマンのもとを訪れ、ジョン・F・ケネディの妹ローズマリーも彼の患者の一人だった。

1945年、第二次世界大戦終結すると戦いで精神を病んだ患者たちで病院は溢れた。フリーマンはこれをロボトミーの普及のチャンスと捉えていた。

1946年、フリーマンは改良型ロボトミーを考案。それはアイスピックによる手術で、今朝入院した患者でも明日には退院できるというものだった。麻酔の代わりに電気ショックを使い昏睡状態にした後、目の裏側にある頭蓋骨の一番薄い部分に向けてアイスピックをさしこむ。そこから脳に分け入り神経組織を掻き切るのだ。所要時間はわずか10分足らずの実に簡単な手術だった。フリーマンはロボトミー普及のため全米各地でこうした手術を公開しに行った。その数は23の州で55の病院にまで及び、フリーマンとロボトミーの名前は瞬く間に全米各地に広まっていった。

 

 

失敗と言い訳

1949年になるとエガス・モニスがノーベル生理学・医学賞を受賞し、ロボトミーは世界が注目する治療法となり爆発的に広まった。しかしそんな喜びもつかの間、フリーマンとロボトミーに暗雲が漂い始める。何と手術による重篤な副作用が問題化したのだ。

 

ケース1

キャロル・ダンカンソンさんの母親アナ・ルースさんは偏頭痛に悩まされ、フリーマンのロボトミーを受けた。母親は活気に溢れ美しく、学生時代は成績も良く記憶力に優れ数学も得意だった。しかし、病院から帰ってきた母親は変わり果てた姿だった。トイレも自分で行けず、感情のコントロールも不能。情緒不安定になり、身なりも構わなくなった。

何より問題なのは、こんな状態になってもフリーマンは「頭痛は消え、痛みの不安はなくなった」と手術は成功し、約束通りの結果を出したと言うことだった。確かに頭痛は消えたがその代わりに、母親は家族と離れて暮らすことになり人生の多くを犠牲にした。

 

ケース2

家族に知的障害を疑われロボトミーを受けたローズマリーケネディも手術後、重い副作用に苦しみ老後施設に入った。彼女は死ぬまでの60年余りをここでひっそりと過ごしたと言う。

 

フリーマンの失敗はこれだけではない。

1954年、抗精神病薬クロルプロマジンがアメリカで認可され、ロボトミー同様の効果が得られることがわかると年間200万人が服用するほど広まった。一方フリーマンはというと、ロボトミーの対象を広めることに躍起になっていた。とにかく手術数を増やすため、ついに子どもにまで近づいていたのだ。

 

ケース3

12才のハワード・ダリーくんは父親の再婚相手と折り合いが悪く、暴力的なふるまいをすると継母にフリーマンのもとへ連れてこられた。するとフリーマンは彼女の言い分のみで統合失調症と診断し、ハワードくんはロボトミーを受けることになってしまった。

当時の少年ハワード・ダリーくんは現在68才になっており、今回番組の取材を受けてくれた。ロボトミーを受けてから50年余り経つ今はバスの運転手をしていると言う。

「手術前に受けた電気ショックがとても怖かったことを覚えています。でもそのあとはよくわからなかった。とても目が痛かったのですがなぜなのかわかりませんでした。霧の中にいるようでぼんやりしていたのです。」

この手術を受け、ハワードくんが大人しくなったと判断したフリーマンは、彼を連れてその成果を発表する。しかし、そこで待っていたのは非難の嵐だった。

「まだ子どもじゃないか!」「恥を知れ!」「医者失格だ!」

 

ハワードくんの当時のMRI画像を見ると前頭葉の一部に穴が空いていた。手術後、養護施設を転々とし、ホームレスになったこともあると言う。

ロボトミーを受けてから精神的に弱く傷つきやすくなったと思います。何をするにも意欲が無くなりました。特にそれを感じます。今でも人生をよりよくしたいと思ってはいるのです。でも長続きしません。すぐに諦めてしまいます。」

 

 

暴走の行く末

フリーマンが全米にロボトミーを広めた結果、ロボトミーは暴走を始める。反社会的人物を矯正するという目的で犯罪者や同性愛者にまでロボトミーが行われた。

しかし、その暴走は長くは続かなかった。フリーマンとロボトミーの実態が1962年に発表された小説ケン・キージー著「カッコーの巣の上で」で告発されたのだ。この小説は映画化され、アカデミー賞の主要5部門を独占。人間性を踏みにじるロボトミーの恐ろしさが世界中に知れ渡った。

 

 

犠牲から生まれたもの

1953年、ある手術の失敗が脳の解明を推し進めた。てんかん発作を繰り返していたヘンリー・モレゾンもまた、脳の一部を切り取る手術を受けた。手術後、発作は治まったが重大な記憶障害になってしまう。言葉や知能に問題はないが、今日の日付が覚えられなくなっていた。

彼が受けた手術は前頭葉を切るロボトミーとは違い海馬を切るものであった。1955年、脳科学者のブレンダ・ミルナーがモレゾンのもとへやって来た。彼女がモレゾンに自己紹介をすると彼は「誰かの役に立てることが嬉しいんですよ」と答えた。

ミルナーはまずモレゾンに5、8、9という数字を覚えるように言うと、彼はそれらを復唱することができた。次に先ほど自己紹介したミルナーの名前を聞くと、答えることはできなかった。しかしミルナーが「カナダ」という単語を口にするとモレゾンは「カナダのトロントに行ったことがあります」と話した。この調査の結果、モレゾンには少し前の記憶は15秒しか残らないが、古い記憶はあることがわかった。また、新しい記憶には海馬が必要だということもわかったのだ。悲しいことに、それは手術の失敗により新たな医学の進歩が生まれた瞬間だった。

その後もモレゾンのもとには100人以上の研究者がやって来た。その度に彼は「誰かの役に立てることが嬉しいんですよ」と繰り返した。

 

 

恐怖のおわり

カリフォルニア州にあるへリック記念病院は1960年代にフリーマンの行うロボトミーを唯一許可していた病院である。しかし1967年の2月にロボトミーを受けた患者が死亡してから病院は許可を取り消し、フリーマンのロボトミーは終わりを迎えた。それから5年後、フリーマンは癌により76才でこの世を去った。

フリーマンの死から8年後の1980年。精神疾患について初めての客観的な診断基準が作られた。それは現在でも使用され、その診断基準の中心となっているのは病特有の症状だ。例えばうつ病は激しい体重の変化や睡眠の量などを医者が問診や観察で見極めて診断を下す。しかし、未だに科学的救命には至っていないのが現実である。

 

フリーマンはロボトミーを失った晩年の1968年に再び旅に出た。診療所を閉鎖し、家を売り払った金を旅費に当てた。目的は元患者を訪ねる旅だ。6ヶ月に及んだ4万キロの旅で600人以上の消息を確認、その中で230人が退院していたことがわかると、結果を得意気に論文で発表した。しかし、それに興味を示すものなど誰もいなかった。

 

旅の途中、気分が高揚したフリーマンは日記にこう綴った。

 

"アクセルを踏みたくて足がムズムズする。疲れや空腹などお構いなしに走り続けられる。"

 

 

感想

2、3日前に前回の記事をツイッターでいいねして下さった方がいて、それを見たこの番組のプロデューサーさんからまたしても「ロボトミー見てくださいね」的なメッセージを頂いたので嬉しくてブログに書いちゃいましたよ。嬉しいです。

さて、番組の感想ですが私にはこのフリーマンさん自身が心に闇を抱えていたように思えてなりません。精神科医を選び、あの異常なほどの患者を"治してあげたい"という気持ちは医師としては立派だけど、実際は病に対する苦しみがわかるからこそ、その思いが強かったんじゃないのかなという気がします。

彼は幼少期から孤独と共に祖父に対するコンプレックスのようなものを抱えていました。それはいつしか自身を縛り付け、あってはならぬ方向へ暴走してしまいます。

ロボトミー普及のために全米を飛び回った際に"ロボトモビル"と自ら名付けた車で移動していたフリーマン。彼の脳に対する執着はある意味誰にも理解されない、目には見えない病だったのでしょう。

現代社会では心の病を患っている人はとても多いです。そこには、こども~大人まで年齢関係ありません。これは時代のせいなのか、診断基準のせいなのか、他の何かか、わかりませんが体の病にしろ心の病にしろ健康な状態より生きにくいのは確かです。

そもそも心の病という言い方も適切ではないでしょうね。心という言葉を使うと感情的なイメージが先走り、患者にとって理解とは遠い偏見を抱かれやすいのかもしれません。

現段階では、精神疾患に対して、その原因はまだまだ解明されていないため一般的な病気との認識の差に開きがあります。例えばどこかで殺人事件が発生し、逮捕された犯人に精神疾患があった場合、犯行理由は病気のせいだと繋げることも珍しくありません。そういった話が広まれば精神疾患イコール危険だと間違った考えを生み出してしまう恐れがあります。しかしながら世の中の多くの犯行は病気とは無縁の人間が行ったものです。社会に間違った情報が流れないためには、まずは病気を知ることが大切だと思いました。社会の理解という行為だけでも患者にとっては治療法のひとつなるのではないでしょうか。

アメリカでは強迫性障害の患者のみにガンマナイフによる治療が認められているそうです。しかしこの治療では20人に1人が重篤な副作用を起こす危険性もあり、十分な治療法とは言えません。科学は失敗の繰り返しから生まれますが、医療に失敗は許されません。「どうなるかわからない」うちは簡単に広めてはいけないものです。しかし、医師たちの治したい、救いたいという気持ちから数々の治療法が発見されていることも事実です。

もちろん患者は実験台ではありませんが、何かの発見の裏には何かしらの犠牲が生まれて成立しているということを私たちは忘れてはいけません。

 

ロボトミー、ある人たちの人生の大半を奪った悪魔の手術。そこには人間社会全体の深い闇が隠されていました。