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スケートを続けられる喜びとスペシャルオリンピックスの道【ハートネットTV】

 

2018年3月29日にEテレで放送された「ハートネットTV 」よりフィギュアスケートを続けられる喜び スペシャルオリンピックス女性アスリートの挑戦”のまとめと感想になります。

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今年2月、札幌で開催されたあるフィギュアスケートの大会で新たな試みがありました。それは、日本スケート連盟とその関連団体の大会として、全国で初めて知的障がい者の参加枠が設けられたという、とても画期的な出来事でした。その背景には2017年3月にスペシャルオリンピックス(知的障がいを持つ選手が参加するスポーツ世界大会)で銅メダルを取った、ひとりの女性フィギュアスケーターの活躍がありました。彼女の名は伊藤友里さん(17)、札幌市内にある特別支援学校の高等部に通う2年生、週2回のペースで地元のリンクで練習に励む日々を送っています。そんな友里さんにとって「試合に出場できる」「フィギュアスケートを続けられる」ことは当たり前にできることではありませんでした。

 

中学前の壁

友里さんがフィギュアスケートを始めたのは3歳の時。テレビで観た選手たちの演技に憧れ、自ら「やりたい!」と、お母さんに頼んだのがきっかけでした。上達スピードこそゆっくりではありましたが、地道な練習と努力を重ね、友里さんは、着実にレベルアップしていき、小学校4年生の時には、若手選手の登竜門と呼ばれる北海道のフリースケーティング大会に出場、さらに小学校6年生の時には上位25人に入るまでに成長しました。しかし、友里さんにとって、そんな輝かしく楽しい日々は中学生を前に、ある壁によって塞がれてしまうこととなりました。

 

どうして皆と同じじゃないの?

フィギュアスケートには9段階に分かれた技能試験があり、北海道スケート連盟のルールでは、中学生以上の選手には2級合格が必須条件となっていました。しかし、友里さんは、この時点では、2級に必要な課題をクリアすることができませんでした。フィギュアスケートはその名の通り「図形」を描く競技でありますが、生後まもなく低血糖脳症で小脳の機能が低下した影響により、図形認識が苦手な友里さんにとって、8の字サークルや難度の高いジャンプの壁は、とても大きなものとなりました。「大会に出れないなんて何を目標に滑ればいいの?」「どうして皆と同じじゃないの?」小学校最後の大会が終わると、友里さんは、練習にはいかなくなり、放課後は部屋に閉じこもってしまいました。

 

スペシャルオリンピックス

そんな友里さんのもとに、ひとつの明るいニュースが届きました。スペシャルオリンピックスの存在です。スペシャルオリンピックスとは1968年にアメリカで誕生した知的障がい者向けの世界大会で、夏冬合わせて26種類の競技と、170万人の選手、50万人のボランティア、そして150を超える国と地域が参加する4年に1度のビックイベントです。オリンピックスと複数形なのは、「いつもどこかで活躍している」という意味から来ています。また、スペシャルオリンピックスの理念には以下のような誓いが掲げられています。

 

"Let me win, But if I cannot win, let me be brave in the attempt."

~わたくしたちは精一杯力を出して勝利を目指します。たとえ、勝てなくても、頑張る勇気を与えてください

 

今まで大会に出られなかった気持ちに、挑戦する機会が与えられたことで、友里さんにも頑張る勇気が再びよみがえってきました。

 

挑戦

2015年の夏、友里さんのオリンピックへの挑戦が始まりました。札幌市では障がい者に無料でリンクを貸し出すしくみが整っており、友里さんは、いつもここでコーチとお母さんの3人で、貸し切りで練習をしています。実は友里さんは以前、一般開放のリンクで他の滑走者と衝突した経験があるため、普段はこのような形で練習をすることにしています。練習では苦手な8の字サークルや新しいジャンプの修得に挑戦、ノートに図を描いて復習したり、コーチが身振り手振りで指導してくれる中、どうしても「足替えをどこでしたらいいんだろう・・」「最初に右クロスから始まって・・あれ?」と、苦戦する日々が続きます。そこで、コーチは友里さんとより近い距離で直接、体に触れながら指導してみることにしました。すると、触れた部分から体が動くようになり、めきめきと上達、2種類のジャンプの他にループジャンプ、そして8の字サークルも出来るようになりました。

 

大きな目標

こうした努力の結果、友里さんは見事、スペシャルオリンピックスの銅メダリストとなりました。さらに、ここでの挑戦が友里さんに、新たな大きな目標を抱かせ、「また滑れるんだ」という喜びと幸せを運んでくれました。その目標とは・・・、なんとフリップジャンプの修得です。フリップはジャンプの中でもアクセル、ルッツの次に難しく、友里さんが苦手とする足の踏みきりも複雑になってきます。しかし、この挑戦にはオリンピックに出場したからこそ達成したいという熱い思いがつまっていました。スペシャルオリンピックスでは全部で6つのカテゴリー難度に分けられており、今回友里さんはその中で4レベルのカテゴリーでメダルを獲得しました。つまり、フリップが跳べれば、より上のカテゴリーに参加できるというわけです。実は2020年に次のスペシャルオリンピックス代表選抜を決める大会が、北海道であることからも、友里さんはなんとしてでも次の代表選抜までにフリップを手に入れたい考えがありました。

 

すみません、通ります

そのためにもまず、地元札幌で近くに開催される大会で、新技フリップを成功させたいと意気込む友里さんでしたが、それは簡単ではありませんでした。何度練習しても思うように動かない体と、失敗するたびに混乱してしまう心。焦れば焦るほど身も心もコントロールが効かなくなってしまいます。

 

そのまま大会5日前を迎えたある一般開放のリンクに、衝突のトラウマを抱えながらも必死で慣れないリンクで練習する友里さんの姿がありました。「すみません、通ります」と声をかけながら、何度も転倒するジャンプを繰り返し跳ぶ友里さん。「成功のために、少しでもいいからたくさん練習したい・・たとえ一般開放でも・・!!」その熱い闘志からは銅メダルを取ったことによって生まれた、トップアスリートとしての魂のようなものを感じさせてくれました。

 

成功させてみせる!

大会前最後の練習。「気力がない」と疲れた様子で苛立ちを隠さない友里さん。それはまるで限界まで追い込んで練習している、あの羽生選手の表情に似ていました。友里さんの中で何かが変わってきている・・、何かが芽生えてきている・・。コーチやお母さんの叱咤激励でこの日、友里さんはフリップジャンプを成功し、練習を終えました。

 

「明日はどう?」お母さんにそう聞かれた友里さんは、まんざらでもなさそうな表情を浮かべ、自信がありそうに見えました。

 

大会直前。友里さんは「成功させてみせる」という強い言葉を残し、リンクに立ちました。こんなことを言う友里さんを見たのは、お母さんも初めてです。いつの間にか友里さんはとても強いアスリートになっていました。

 

より高みへ

この大会で、友里さんはフリップを成功させました。心が折れかけはしても、決して折れなかった強い信念と、世界大会で残した自信が形となってくれたのでしょう。私にはフィギュアスケートを滑れる場所がある!この喜びが友里さんにとって何よりの原動力となったことは言うまでもありません。大会3日後、次のオリンピックに向けて、より難しいプログラム構成に挑む友里さん。ひとつのきっかけが、ここまで人間を強くさせ、喜びを与え、多くの機会を与えてくれる。きっかけさえあれば、夢を見ることができる。それは誰にでも言えることかもしれません。

 

スペシャルオリンピックスが友里さんに希望を与えてくれたこと、そんな友里さんの生き方から希望をもらう人、そのそれぞれがスポーツを通して心を動かせるのだと思うと、やっぱりスポーツって素晴らしい!にいきつきますね。文字にすると単純な言葉ですが、感じる分にはとても大きな言葉だと、改めて感じました。スペシャルオリンピックス。この活動がより多くの方に知ってもらえたらと思います。

 

おわりに

友里さんは3歳で競技を始め、5歳になるまで、ご家族も障がいがあるということが分かりませんでした。初めは皆と同じように練習をし、大会にも出ていたということですね。しかし、どんどん年齢が上がるに連れ、健常者と同じ大会に出ることが叶わなくなり、やがて競技から取り残されてしまいました。フィギュアスケートでは各年齢に応じて、級やレベルがあり、そのレベルに満たさないと出場できる大会が難しくなってきます。ジュニアの選手ならばジュニアの選手に必要とされる条件を満たしていなければいけません。そんな友里さんにとって、障がい者にも機会が与えられるスペシャルオリンピックスがどんなに嬉しいものだったでしょう。予選を通過し、見事代表に選ばれ、メダルを手にした友里さんの気持ちを思うと、本当に良かったと思います。だって、友里さんスピンがめちゃくちゃ上手いんですよ!

 

私も今回この番組を通して、スペシャルオリンピックスについて調べてみたのですが、この大会では1~3位にメダルを、4位以下にはリボンを贈呈することになっていて、表彰式では最下位の選手(全選手)から順番にコールすることで、最後まで拍手が行き届くように配慮するなどして大会の運営を行っているそうです。また、最近では元フィギュアスケーター安藤美姫さんや小塚崇彦さんもこの活動に加わっていましたね!ぜひ、おふたりの宣伝によるサポートと合わせて、今後障がい者枠の大会が他の大会でも設けられ、ショーでも枠があればいいなと思いました。以前テレビで齋藤舜さんという知的障がいを持つ男性スケーターの特集があったのですが、厳しい練習を乗り越え、大会に出場し、「何度注意を受け、自信がなくなった人でも、明日があるから頑張って!若い僕らには夢がるから」と自身のお気に入りの曲、坂本九の「明日があるさ」を滑った姿を観て、この努力をもっと多くの方に知ってもらえる機会はないだろうかと感じたんですね。世間ではいじめを受け、大好きなフィギュアスケートの大会にも出場資格の制限で居場所がなくなった彼らを導いてくれたのは、この「滑れるチャンス」です。出場枠が夢を与える形として挑戦や自信を取り戻してくれたのです。そして今は彼らが、経験から得た教えを私たちに発信してくれています。私はこれらのことが、もっともっと広まってくれることを願います。

 

と、いう私もスペシャルオリンピックスのことに関しては、まだまだ無知なので、今から調べてみたいと思います!探してみたところ、ネットでもたくさん情報があるんですね~。自分も初めて知った!という方も、ぜひ一緒に調べてみましょう!

 

以上でおわりになります。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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