オオカミのとおぼえブログ

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フィギュアスケートの解説ってこれでいいの?

競技人気の復活を考える①

 

ピョンチャンオリンピックフィギュアスケートを見ていて感じたこと。

 

それは全盛期と比べて「落ちついちゃったなぁ」という寂しさ・・。

 

競技人気の高い日本とロシアでは、男女シングルで金・銀メダルを獲得したため、大きな話題となりましたが、世界的に見るとフィギュアスケートは、限られた範囲の熱狂に治まりつつあるな・・と、ピーク時と比べた会場の様子や、他国の報道から危機感を覚えてしまいます。

 

(羽生選手がアジア全域で新しいファン層を獲得し、大黒柱として繋ぎとめてはいますが、シングル・ペア・アイスダンスと広く見た場合は盛り上がりに欠けつつあるな、というイメージです)

 

元々トリノオリンピック後辺りから、競技人気の要であるアメリカ人選手の低迷や、度重なるルール改正による競技の変化、スター選手の引退が相次ぐなどして、少しずつファン離れが起きていましたが、それを唯一食い止めていたのが日本のファンで、この日本でのフィギュア人気があったからこそ、今日まで何とかショーや試合での席が埋まっているという状態でした。

 

しかし、その日本での盛り上がりも、いつまで続くのか?と、言ったら不安があるのも事実。もちろん「別に人気がなくなったって、前みたいに好きな者同士で細々と応援すればいいよ」という意見もあるかもしれませんが、私が恐れているのは、そこではなく競技人気低迷の行く先です。

 

ただでさえ、日本(と最近はロシア)が人気を支えている状況なのに、そこから日本人ファンが今ほどいなくなったら、この競技はどうなるのか。競技人口も少ない中で、どのようにして新たなスターが生まれるのか。今後、世界からフィギュアスケーターになりたいと思ってくれる子どもたちは増えてくれるのか。(特に海外男子やカップル競技)多くの不安があります。

 

そもそもなぜフィギュアスケートは歴史的に、各国でスター選手を輩出してきても、その競技人気をサッカーや野球のように約束できないのか。「常に勝てる」選手がいない限り、なぜこうも一過性のブームとして忘れ去られてしまうのか。

 

それを私は、ずばり「採点競技」だからではないかと考えます。

 

今回オリンピックを見て一番に感じたことは「競技の分かりにくさ」です。

 

いくら自国に強い選手がいても、いくらこの機会だからと、一般層にフィギュアスケートを観てもらっても、見ていて意味が分からないものには深入りが出来ない、ハードルの高さがあります。ただ、ただ「日本人選手おめでとう」で終わってしまう、それ以上を理解してもらうには、余程興味を持ってもらわないといけない難しさがあります。

 

子どもたちがフィギュアスケートに「感動した!やってみたい!」と思っても、金銭的にも敷居が高いイメージがあるので、どうしても「一般人には遠い世界の競技・・」という見られ方をされており、そこにこうした採点競技の難しさが加わると、気軽に見れるもの・やれるものではない競技と考えられても仕方がないことなんですよね・・。

 

そこで、一体どうしたら、せめてフィギュアスケートが、観る手にも、もっと浸透できる競技=文化になるのかを考えてみた結果、そこには実況解説や専門のコメンテーターによる的確かつ分かりやすい情報の発信が必要不可欠なのではないか、ということに行きつきました。

 

では、どのような解説であったら、採点競技を魅力的に出来るのか。前置きが長くなりましたが、以下にそれらをまとめてみました。

 

 目次

 

曖昧な解説は分かりにくい!

フィギュアスケートの実況あるあるで、「綺麗でした」「流れがありました」「華やかですね」「体がよく動いています」などがあります。皆さんもご存じのように、これらは誰が見ても分かる内容で、別の言い方をすれば、解説者の言っていることが、観る手にも分かる唯一の内容と言っていいかもしれません。しかし、これらの解説を聞いている視聴者の中には「フィギュアスケートって美人が有利なんだ」「スピードがある人が上手いんでしょ」と、その言葉通りに素直に受け止める方が多いのも事実。確かにこれらの解説は、具体性に欠け、形容した表現が多いため、言葉が大雑把に伝わってしまう恐れがあります。解説者の立場からすれば、短い言葉で伝えるには、これが精一杯なのかもしれませんが、逆にこれが「なんだ結局”華”とか”美しさ”とか曖昧な採点なんじゃん」と、誤解される要素に繋がっている気がしてなりません。言って見れば、「綺麗!」や「心のこもった演技だった!」なんて感想は、私のような一般層のファンがSNSやブログで語る内容であり、プロにはプロ目線でしか伝えられない内容というのが視聴者には期待されています。その肝心の部分が、素人と同じ感想で終わってしまうということは、結局フィギュアスケートってそういうものなのね」と、スポーツとしてのレベルを下げられた評価として、世間から扱われているのではないか?という焦りがあります。

なぜ?が続出

ピョンチャンオリンピックを例にしても、スケートファンである私は、周囲からこのような質問攻めにあいました。

 

「坂本さんは、なんであんなにミスしたコストナーより下だったの?」

※「メドベージェワとザギトワは何が違うの?(勝敗を分けた理由)」

本田真凜ちゃんを出せば勝てた?」

※「なんで宮原選手はノーミスで自己ベストでもメダルが取れないの?ジャンプの加点がないの?」

「日本人は手を上げたジャンプを跳ばないからダメなの?」

「フェルナンデスが1位かと思ったけど違うんだね。」

「羽生と他の差って何?どこが凄いの?」

 

などなど・・。いやぁ、自分でも競技後これだけ世間に疑問を残すフィギュアスケートって凄いと思います・・。それだけ大切な部分が説明されていないってことですよね。個人的には、※部分については、注目もされていましたし、きちんと解説なりなんなりしてほしかったです。だって、こんなにも視聴者が疑問だらけなら、解説やコメンテーターって何のために存在していたの?ってなりますからね。ここが成り立たないと、ワイドショーで勝手な憶測が独り歩きし、ますますこの競技が誤解されてしまいます・・。

スケート連盟の対応力

「誤解」といえば、スケート連盟の対応も同じです。例えば、あれだけ連日報道でも心配されていた羽生選手のケガの件についても、ほとんどの関係者が口を濁しながら「羽生選手なら何があっても大丈夫!」としか答えていませんでした。こうした説明力に欠けた発言なら、しない方が信用できます。言葉足らずな回答では、誰も不安を拭うことはできなかったでしょう。

果たしてスケート連盟は選手と意思疎通が出来ているのか?と、疑われてもおかしくないような言動は、多方面において誤解を生んでしまったと思います。別に「二連覇への期待と、ケガが重なり、ナーバスになっている時期だからこそ、今は本番までそっとしてあげたい」の一言で、周りは精神的にサポートしているし、間に合うように努めていることを分かってもらえれば良かったのではないかと思います。

また、団体戦前に突然坂本選手が練習に現れなくなったことについて、マスコミがどうしたのか問いただした時も、関係者は「体調不良」を臭わせるような発言をし、周囲を混乱させました。実際は、他のリンクで練習していただけで、心配するようなことはありませんでしたが、これらを含めても誤解だらけで、あまりにも、報道に対しての対応の仕方がお粗末・・というか、上手く答えられない関係者が多いのがとても引っかかる部分です。上がこうだと、下はもっと対応しにくくなってしまうもの。それがこのテーマに繋がっているようにさえ感じます。

 苦情を恐れないでほしい

話は戻って、次は実況解説ではないスタジオに呼ばれる解説者について。彼らは少なくても実況組よりは、語る内容を整理できているわけなので、その分、解説には期待がかかりますし、一般層にとっては重要な情報源です。しかし、ここでも視聴者やファンが「本当に知りたい内容」というのは、ほぼ聞くことができません。聞こえてくるのは、元から用意されたテーマを進行通りに行っているだけの言葉。語られるのはいつも同じで詳細が不十分、そんなもどかしさがあります。

番組がGOEについて話を誘導すれば、勝敗の原因がPCSだったとしても、なぜかGOEが標的になったり・・。PCSの説明においても、なぜかPCS=スピードと表情に固定されている疑問だったり・・。どこか本音では踏み込めていない空気を感じてしまいます。

私が見ていて思うのは、国内でフィギュアスケート人気が沸いてから、報道量が増えた分、それらへの苦情というのも同じくらい増えているのではないか、ということです。フィギュアスケートは各選手のファンの熱意が凄く、どうしても贔屓の選手には保護者心が出てしまう傾向にあります。その批判を恐れてか、どの解説者も具体的なことは避け、曖昧な言い回しになっていると思います。

しかし、私たちが本当に知りたいのは「なぜ?」の部分。なぜ、ミスしたの?なぜ、この得点になったの?どこが課題で、どこが強みなの?こんな単純なことなんです。ぜひ、元選手目線でしか語れない思いを率直に教えてほしい、周囲にしか見えてこない選手の姿を、もっともっと伝えてほしい、そう思います。

伝える力①

ピョンチャンオリンピックで各競技の解説を聞いていて分かりやすいなぁ、と思ったのは清水宏保さんによるスピードスケートの説明です。素人が見ていても気づかない、分からないことでも、瞬時に見抜き、それを言葉で的確に伝えることが出来る、とても分かりやすい解説でした。

解説で元選手が呼ばれるのには、こうした選手目線でしか語れない内容を世間に発信するため、また、それが期待されているからだと思います。その中でも金メダリストである清水さんの解説には、一流の洞察力と説得力があり、それを聞いていた者にも選手に対するリスペクトや、競技への理解というというものが自然と伝わったのではないでしょうか。まさに理想的な解説です。この伝える力の上手さというのは、どうやって身につくのか・・。もちろんスピードスケートは採点競技と違い、タイムで結果がはっきりしており、こちらにも目で見て分かりやすいという点も相まってはいますが、事実をありのままに、的確に、愛情を持って伝えるというこの3点セット技は、とても心地よく、フィギュアスケートでも聞けたらいいな、と羨ましく感じる解説でした。(フィギュアでもそれはあるんですが、バランスがちょっとどれかに偏る傾向にありますよね)

伝える力②

フィギュアスケートの解説ってこれでいいの?と、ここまで4000字に辺りごちゃごちゃ言わせてもらいましたが、そんなフィギュアチームも、テレビで口から発信する時こそ消化不良気味で終わってしまいますが、それがコラムやインタビュー記事などで文章になると、皆さん饒舌で読み応えたっぷりなんですよね。

こういうのをテレビで世間に伝えてほしいよ~~!!と思ってしまうくらいです。やはりテレビではとっさに応えなければならないし、頭で色々と考えたり、気遣ったりで、自由に伝えられないというのも大きく影響しているんでしょうね。それでも、個人的にはテレビでの解説より、文章での皆さんの解説の方が好き。フィギュアスケーターはバリバリの体育会系というよりは、ややアーティストよりだから、じっくり内側から語る方が性に合っているのかもしれませんね。決して伝える力がないのではなく、伝えるタイプが違うだけ。ただ、それが実況解説や、ワイドショーなどの面でも発揮されると、とってもとっても良いんだけどなぁぁ。

採点競技の奥が分かる記事

そこで、一度、上記で書いた「読み応えのある解説記事」を紹介したいと思います。(元選手以外のスポーツライターの記事も含む)

 

まずはこちら↓

pyeongchang.yahoo.co.jp

解説では仕事がこない・・と言われる、何かと批判されがちな安藤美姫さんの解説記事。ここでは女子フリーの勝敗を分けたものが詳しく書かれています。特に、私が周囲から受けた質問にもあったメドベージェワ選手とザギトワ選手の差については、

 

優勝したザギトワ選手と2位のメドベージェワ選手の差はほとんどないのですが、強いて挙げるとすれば、ザギトワ選手のジャンプがすべて後半だったということです。ザギトワ選手は自分の弱みを分かっている構成で、それに加えてシーズンを通して5コンポーネンツを上げてきました。この何カ月ですごく成長した部分だと思います。


 一方のメドベージェワ選手は、少し緊張が感じられました。普段はもっとリラックスして演技をしているのですが、今回は慎重に落ち着いてやっていたように見えました。ただ、2選手とも素晴らしい演技で、この僅差に関してはプログラム構成だけだったと思います。

 

と、明確な理由と、どちらの選手にも配慮のある言葉で語られています。また、オズモンド選手と宮原選手の勝敗についても、あれだけ言われていたGOEの差はジャンプ部分でのわずかでしかありませんでしたが、フリーではそのわずかな差が影響してしまうことや、今後PCSの評価がもっと上がれば差が縮まること等が書いてあります。安藤さんはツイッターでもセルフ実況をしたりと、自由な解説をしている方で、テレビで語るよりは文章で伝えるほうが、上手い印象を受けます。

 

続いてはこちら↓

www.yomiuri.co.jp

面白い記事だったので、解説とは少し違いますが載せておきます。一体どういうものかというと、ピョンチャンオリンピックで羽生選手と宮原選手が滑ったプログラムの演技をデータ化したものなんですが、こうして数値化すると、人間の目だけでは測れない、この競技の見方が知れて非常に興味深いです。読売新聞では他にも、宮原選手のフリーの運動量をザギトワ選手と比較した結果、宮原選手の軌跡が934mだったのに対し、ザギトワ選手が783mだったこと、また、宮原選手の平均速度は男子の羽生選手に匹敵するものであったことなどを分析しています。

 

リンクばかりを貼るのも読みづらくなってしまうので、その他を紹介しますと、元・シングルスケーターの高橋大輔さんのコラムや町田樹さんの解説、長年フィギュアスケートを担当しているライターさんの記事などは、普段聞けない情報が分かりやすく得ることが出来て興味深いです。

元選手と現選手の仲睦まじいインタビューでの様子を見るのも楽しいですが、それがあまりにもバラエティ寄りになってしまっては、選手がタレント扱いになってしまいますし、聞きたい内容が流れてしまい、違和感が生じてしまいます。

逆に元選手だからこそ察してあげられる、理解してあげられるようなインタビューのやり取りは見ていてとても気持ちが良いですし、「そういうことなんだ」と頷くような情報も知れて勉強になります。

個人的には、テレビ用にと忖度を誘わなくてもいいので、選手の気持ちがストレートに分かる、ひとつ突っ込んだ真面目なやり取りを希望しています!少なくてもこうした記事では、受け狙いを気にせず、どんな結果にも愛情で評価されていて素晴らしいなと思います。

おわりに

以上が、「こうなったら多くの方にフィギュアスケートを理解してもらえるのではないか」に、ついてでした。採点競技は絶対に、勝ち負けの理由が伝われば、今よりも関心を持ってもらえると思うんです。

 

これは世界的にもそうですが、分かりやすさが伝わることで、人気を少しでも回復できればいいな、と密かに願っています。と、いってもこれは競技人気復活へのひとつとして、勝手に考えた例にしかすぎなく、今回はあくまでも第一弾として「解説」に焦点を当て話を進めましたが、他にもここがこうなったら良いのではないか?という例はたくさんあります。そこについては第二弾でお話させていただきます。(長いので)

 

少し批判めいたことを書いたので、心苦しい気持ちはありますが、(解説陣の皆様ごめんなさい)今のフィギュアスケート人気の維持と、世間からの関心、そして海外での人気低迷(特に男子シングルやペア人材の減少は危険)などを考えると、決して安心して見ていられるものではないのかな、と感じるのです。

 

国内人気を見ていても、自分の好きな選手が引退したら他は興味ないよーって方も過去を見る限り多いと思うので・・。

 

私は日本人スケーターも海外スケーターも一通り好きで、元は引退したスケーターたちの大ファンであるので、スケーター自体に不満なんてありませんし、そんなことを頑張っている方たちに言いたくもありませんが、世界的に競技人気が危うい現在、ルールや運営システムについては全部が全部、納得いくよ!それでいいよ!であっては、今後ますます苦しい状況となっていくのではないかと思い、ここだけは違うのではないかい?ということを書かせていただきました。

 

やはりいくらルールがこうだから!と、言っても、それが結果、ファン離れを加速させているのなら、対策は必要ですよね。(それだけ女子のジャンプ判定は分かりにくいです)そのためにも!フィギュアスケートが再び、冬季オリンピックの花形種目と言われ、どの会場でも満席になるように、そして男子シングルが世に受け入れられる、憧れの競技へと変わっていってほしいです。

 

 

 おまけ

某スポーツ番組で、現地(韓国)にいる高橋大輔氏にスタジオ(日本)にいるコメンテーター(どなたか忘れた)がスケーターたちについて質問した時に「キレイごとなしに言ってください!」と何回も聞いていたのを見て、驚いたのと同時に「あ、やっぱフィギュアスケート陣って無難なことしか言わない人たち」ってイメージが強いのかなと、思いました。んん~そうじゃないんだけど、否定もできないこの感じ。このモヤモヤはしばらく続きそうです。

 

追記:ここ最近の織田くんの解説がかなり具体的でファンにも分かりやすいです!どのスケーターにも敬意と愛情を込めて発信されているので、面倒なアンチもつかないと思う!このままガンガンいってほしいです! 2018.12