オオカミのとおぼえブログ

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職業差別?泥酔客が降車後凍死→タクシーに賠償命令

 

今回は、書こうかどうか迷っていた内容について少し触れたいと思います。

 

最初に以下の記事をご覧ください。

 

 

泥酔学生下車し凍死、タクシーに賠償命令 松山地裁

松山市の山中で07年、愛媛大学医学部の男子学生(当時23)が凍死したのは個人タクシーの運転手(64)が泥酔した学生を現場付近に降車させたためだとして、遺族が慰謝料など5千万円を求めた訴訟の判決が24日、松山地裁であった。武田義徳裁判官は「最寄りの警察署などに降車させるべきだった」として安全配慮義務違反を認め、約4100万円の支払いを命じた。

 判決によると、学生は07年12月21日夜、松山市内で友人らと酒を飲み、22日未明、帰宅するため1人でタクシーに乗った。運転手は松山市玉谷町の国道で降車させ、学生は約200メートル歩いたところで石手川の河原に転落して凍死した。降車場所は学生の自宅から約4キロ離れた山中だった。

 裁判で運転手側は、降車時の状況について「学生が停車を指示し、『間違いないのか』という問いに対して『ここでいいです』と答えた。酔っているようには感じなかった」と主張した。しかし、判決は、学生の飲酒量やタクシー内でのやりとりなどから「学生は泥酔しており、運転手も認識していた」と認定。こうした主張を退けた。

 そのうえで「運転手は現場付近の地理に詳しく、泥酔した学生を降車させれば、転落や凍死の危険性があることは明らかだった」と指摘した。

ソース 朝日新聞デジタル

 

さらにもうひとつ

 

泥酔客がタクシー降車後に凍死…4千万賠償命令の波紋

 泥酔学生を乗せたのが運の尽きだったのか-。2007年12月22日未明、愛媛県松山市内で凍死した愛媛大医学部5回生の男子学生(当時23)の遺族が、学生を現場付近に降車させた個人タクシーの運転手(64)に慰謝料など5000万円を求めた訴訟で、松山地裁は24日、運転手の安全配慮義務違反を認め、約4100万円の支払いを命じた。当然ながら、同業者からは不満と不安の声が噴出している。

 判決によると男子学生は12月21日夜、松山市内で友人らと酒を飲み、22日午前1時ごろ、帰宅のためタクシーに乗車し自宅方面の住所を告げた。男子学生は約20分後、自宅から約4キロ手前の山中、同市玉谷町の国道317号で降車。降りた男子学生は歩いて約200メートル引き返しガードレールの切れ目から石手川の河原に転落。頸椎を損傷し午前5時ごろ凍死した。

 男子学生の遺族は「断崖絶壁が続き、約70センチの低いガードレールしかない危険な場所に泥酔状態の乗客を漫然と降車させた運転手には安全配慮義務違反がある」と主張。

 運転手側は「計8回行き先を聞いたが、すべて『直進』と言われた。降車時も『ここで降ろせ』と指示され、正常に歩き出したのも確認した」と反論したが、判決で裁判長は「運転手は現場付近の地理に詳しく、泥酔した学生を降車させれば転落や凍死の危険性があることは明らかだった」と結論づけた。

 夕刊フジの調べでは、22日の気温は午前3時が10.6度、4時が10度。この気温で運転手は本当に凍死の危険性が認識できただろうか。

 『タクシードライバーの言い分-運転席からの人権宣言』の著書がある重信幸彦・北九州市立大教授(民俗学)は「法律家の正論のみで裁いた今回の判決は、現場に大きな矛盾と混乱をもたらす可能性がある」と懸念する。

 「現在の法律では、客が『降ろせ』と明確に指示して料金も支払えば、現場の運転手の判断で『降ろさせない』のは非常に困難。降ろす場所も、高速道路上など法律で乗降が禁止されている場所や、徒歩が極めて困難な山道などでないかぎり、自力で降車した客を見送った運転手に責任は問えないのではないか

 一方、都内の現役タクシー運転手は「われわれには泥酔者の乗車拒否が法律で認められている。拒否できる泥酔者を、利益優先で乗せたと法的に判断されたら、深夜の国道に降ろしたことが安全配慮義務違反に問われるのは仕方ないかもしれない」と語る。「ただ、今回の裁判のように運転手の証言が一切認められないなら、今後は酔客を警察に即保護してもらい、料金も立て替えてもらわないと割に合わないね」

ソース Rakuten infoseek news

 

この事件は今から10年ほど前のもので、記事はそれぞれ別の情報元から発信されたものになりますが、現在どちらの記事も削除されているため、どこかにこの事件について書かれた情報が残っていないか探したところ、以下のブログに該当する記事がありましたのでお借りいたしました。

愛媛大学医学部5年生が泥酔し凍死したのはタクシー側の責任?

 

 

ふたつの記事をまとめると

 

  • 事件は2007年の冬に起きた
  • 泥酔した医学生を乗せたタクシーが、客に「降ろせ」と指示された場所で降車させた
  • 客はその後、200メートル先の川に落ちて凍死
  • 遺族がタクシー運転手を訴える
  • 松山地裁は、タクシー運転手に対し「安全配慮違反」として4100万円の支払いを命じた

 

 

すべてタクシー運転手のせいなのか

 最近はやたらと「人のせい」にする流れがどこにでもあると感じます。特にサービス業で理不尽なクレームに追われ、ストレスを抱えているという方々は多いのではないでしょうか。この事件、裁判の詳細や証拠については深いところまで書かれていないので、私自身もこの記事に載っている内容でしか語れませんが、パッと見ても10対0の勢いでタクシー側の責任になっているのは、あまりにも酷ではないかと思うのです。

 

確かに大切な家族を亡くしてしまったご遺族の悲しみや無念さは計り知れませんし、そこについては、お悔やみ申し上げます。「こうであれば死は防げたかもしれない・・」と思う気持ちも家族の立場になれば誰でも考えてしまうかもしれません。

 

しかし、このタクシー運転手の意見を全く無視したこの判決には、疑問と同情しかありません。そもそも住所もわからない、お客さんもここで降ろせといっている・・それなのに勝手に交番まで連れていったら、それはそれで訴えられる・・。運転手はどちらにしても守られていない状態であり、「正しくない」と責められる立場なのです。

 

 

どのように対応すればいいのか

この事件はまず、「お客が泥酔していた」というところから始まります。一方、運転手は「酔っているようには感じなかった」と主張。ここでの酔っていなかったというのは、歩けないほど泥酔してはいなかったという意味かお酒を飲んでいたようには見えなかったというのかは分かりませんが、おそらく飲み会の帰りに乗ったタクシーということなので、前者だと仮定すると、付き添いなしにひとりでタクシーに乗ることができ、受け答えも可能で、支払いもしっかりできたことから、運転手は「お酒を飲んでいても危険ではない範囲」と認識した可能性はあるでしょう。実際にお客さんが停車を願い出た時にも「ここで間違いないのか」を確認し、承諾を得て、歩き出したのを見届けてから現場を去っていますし、既に携帯電話が普及していた時代だったこともあり、途中で具合が悪くなっても助けを呼べる状態で、問題のない対応だったと思っていたかもしれません。

 

ただ、10年前の事件ということもあり、これらのやりとりが本当にあったのかというレコーダーやカメラでの証拠がないため、ご遺族からすると「酔っているのに、なぜこんな場所で!」という疑いが、どうしても生まれてしまうのでしょうね。

 

基本的にお客さんから「降ろせ」と言われたら、運転手側の立場としては拒否をするわけにはいきません。それなら、どうするべきだったのか。自宅が分かれば、そこまで安全に送り届けることもできますが、お客さんの中には「夜中に帰宅するのを近所の人に見られたくない」という理由や、プライバシーから他人に自宅を知られたくないという理由から、あえて自宅から離れた場所で降車する方もいるため、強要はできませんよね。さらに金銭的なことが理由で「ここで降りないとマズイ」と途中で停車する場合もあるでしょう。それでも飲酒したお客さんなら、必ず自宅まで帰宅したしたことを確認しなければならないとなると、これはもう法律自体を変えないと難しい問題だと思います。

 

 

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どうしたらお互い傷つかずに済んだのか

「最寄りの警察署に連れていくべきだった」

これが地裁の結論ですが、これもお客さんから「そんなことは頼んでいない」と支払いを拒否され、もしくは「金のためにメーターを稼いだだけではないか」といわれたら、それこそ大事になってしまいます。ただ、これが法的に認められているのなら何の問題もありませんし、皆さんそうするでしょう。警察が料金含め、責任をとってくれるのですからね。

 

たとえ泥酔者の乗車拒否が認められていたとしても、現状多くの飲み屋がタクシーを利用しています。これは当たり前ですが、飲酒運転ができない限り、飲酒をしたらタクシーが必要になる矛盾がある以上、乗車拒否などできない状態です。すべてのタクシー会社がこれをすべて拒否したら、世の中から飲み会がなくなってしまい、飲酒運転による事故も増えるでしょう。もっといえば運転手側だって酔っぱらいを相手にするのは恐怖なんです。中には暴れたり、いちゃもんを付けたり、理由を付けてお金を払わない迷惑な人間だって存在する。そこを刺激しないように、やり過ごしている苦労を考えると、裁判官には、もっと、この仕事に対して色々な目線で見てほしかったなと思ってしまします。

 

この事件も、お客さんを無事安全に自宅まで送り届けられるような「法律」があれば、お互い傷付かずに済んだでしょう。

 

今のままでは、タクシーによる泥酔者の乗車が禁止されていたとしても、お客さんが徒歩で帰宅した際に死亡した場合も、同じように、泥酔するまで酒を提供した居酒屋や、友人が訴えられるという流れに変わるだけになりそうです。(そもそも単なる飲酒と泥酔の判断にも個人差がある)

 

 

もう少しに踏み込めない社会

タクシー運転手と限らず、多くの職業の場面で、なかなかお客さんに踏み込めないラインがあると思います。お客さんの立場からすれば「お金さえ払えば」どんな小さなことを要求できても、会社の立場では「どんな事態であっても」マニュアル通りにしか動けません。お客様は神様で、会社は常にリスキーなのです。この事件でも、もしかしたら、

 

客「ここで降ろしてください」

タクシー「ここでよろしいのですか?」

客「はい」

 

の後に

 

タクシー「失礼ですが、お客様は飲酒されています。時季が時季なので、ここで降車するとお客様の安全が保障されないため、万が一に備えてご自宅までお送りさせていただきます。」

 

仮に「結構です」・・と断られても

 

タクシー「これは義務ですので、ご了承ください。」

 

までが言える世の中だったら、最悪の事態は回避できたかもしれません。これを拒否するには、「拒否」をした証拠を残し、その後については「自己責任」というかたちにしてもらわなければなりません。そもそも泥酔しているお客さんに、きちんとした判断力があるとは思えませんが、会社としては、どこまでお客さんの面倒をみるのかについて区切りがないと、何も成り立たなくなってしまいます。

 

上の会話でさえ、お客さんが、「この運転手は自分の言う通りにしない」と激怒したら、それがどんなに正論であろうが、間違いになるのが日本の社会。しかし、死人に口なしなので、なぜこのお客さんが途中で降車したかは分かりません。本当は降りたくなかったけれど、吐き気がしたので迷惑になる前に、やむを得ず降りたことも考えられるため、もしそうだとしたら、遠慮なしにそれを告げれたら良かったのかもしれません。これもまた、迷惑や遠慮という日本社会が生んだプラスにもマイナスにも作用する闇。なんでも社会のせいにするのもいけませんが、察することに慣れ過ぎた私たちは、時にそれに甘え、正しい主張から遠のいてしまっているのも事実です。

 

今後このような事件をなくすためにも「あともう少し」が主張できる世の中に変わってくれたら・・と思いました。

 

 

弱者と差別

今回は、あまりにもタクシー運転手に対して不利な判決だったのと、亡くなった方に対しては悪く言いたくないという思いから、この事件に対しての直接的な意見というよりは、「どの業種にも起こりうる流れ」として書かせてもらいました。そのため、やたらと仮定や想像文が多く、具体性や説得力には欠けますが、「言いたいことは分かる」と少しでも共感していただければ幸いです。

 

なぜ今になって、このような過去記事を取り上げたのかというと、私にとっても、とても身近なニュースだったため、やはりここで一度、声にしたいと思ったからです。何を身近に感じたか、というと、それは「タクシー運転手に対する職業差別」についてです。私はこの判決の根底には「職業差別」があると思いました。

 

「どうせタクシー運転手の言い分なんか・・」「タクシー運転手なんてしている奴は・・」という見下した態度。さすがに裁判官がここまで下げているとは思っていませんが、世間的にはこういう見方で差別している方もいらっしゃいますよね。テレビでも芸能人がタクシー運転手の悪口を語る場面は珍しくありません。あれってなんなのでしょう。特定の職業を、有名人が全国ネットで名指しで否定する行為。逆にその時の、あなたたちの態度も100パーセントクリーンだったと言い切れるのでしょうか。一般人を前にして「芸能人だから」と勘違いしている方だってたくさんいますよ。本人にはそのつもりはないのかもしれませんが。しかし、こうした芸能人の「声」による影響力というものは、私たちの中に、知らず知らずに浸透しています。

 

身近な職業差別の例:私の周りにも、定年まであと数年という時に、会社が倒産し、その後タクシー業に就いた人がいます。正直、田舎で60近い人間を雇ってくれる職場といったらタクシーくらいしかありません。年齢が上がるほど、深夜まで及ぶ勤務は過酷ですし、体力もついていかない・・。勤務がハードで人の入れ替わりが激しいのも事実だそうです。近年はタクシーを狙った詐欺や強盗事件があることから不安も大きい業務。それでも、再就職先に困っている人にとって、働ける場所があることは、ありがたいのです。また、定年退職後に、少しでもお金を稼ぐためにとタクシーにやってくる高齢者もいます。ご主人が亡くなられて、食べていくためにタクシー運転手になった女性もいます。「こんな年でも正社員で雇ってくれるのはココだけだから」そんな思いで、働いている人は多いです。(もちろん個人タクシーで御殿を建てている方や、好きでこの仕事をしている若者もいます)

 

そして、人それぞれに背景があって、現在がある中で、タクシー運転手になってからやたらと世間からの扱いに差を感じている人もいます。「タクシー運転手」というだけで威張られたり、馬鹿にされたり・・。元有名企業勤めや社会的地位を持っている人間だとしても、タクシー運転手になればそれは同じ。世間が「肩書」で態度を使い分けていることを知り、心が病んでしまいます。

 

「自分にとって道を覚えることは、前職でしていた仕事よりも難しい」

 

これを言った方は、高学歴で、前職が結構すごい職業。そういう方はごまんといたので、具体的になんの職だったか忘れてしまったのですが、仕事内容のイージーさ、ハードさは見た目や言葉だけじゃ伝わりませんよね。実際に経験してみて、その大変さが分かると思います。

 

だからこそ、職業に差別はあってはならないし、その立場になって物事を考える必要があるのではないでしょうか。

 

64歳に4100万円の支払いは不可能に近いですよね。医者が風邪気味の患者を診察後、そのまま帰宅させて、途中で熱が上がった患者がふら付いて川に転落したら、果たして医者に安全責任が本当に問われるのか気になります。

 

この事件の、この判決は、明らかに弱者として受けてしまった要素が高いと思います。

 

 

真実は闇の中に・・

この事件のその後については続報もなく、結局どうなったのかは分かりません。そもそも、こういった判決になった詳しい経緯すら分かりません。つい最近も泥酔者が友人と別れた後、線路上で眠ってしまい、亡くなった事件がありましたが、あの場合は電車を止めた罪の方が大きくなり、残された遺族が大変な思いをすることになりました。しかし、「これも訴え方によっては、あの事件ような判決になるのか?」と少々疑問を抱きましたが、おそらくそれは無理ですよね。泥酔者を玄関に入るまで見届ける義務がない限り、そこまで介抱することを誰にも求めることはできません。それが意図的な犯罪だったら別ですが、多くが「大丈夫そうだな」と思ったら、そこで役目を終えるのが普通だと思うのです。

 

意外と泥酔者が堀に落ちて亡くなったり、路上で眠って轢かれたり、凍死する事故は、身近にあります。いや、かなり多いですし、これから忘年会シーズンや新年を迎えるにあたって、飲み会は頻繁に開催されるため、このような事故はどこにでも起こりうることです。タクシーの利用率も増え、忙しくなってくるでしょう。同じような被害に合わない・合わせないためには、ひとりひとりの行いが重要になってきます。自身のお酒の飲み方、一緒にお酒を飲む相手、そして家族が第一に気をつけ、それに関わるすべての人も、いつ、どのようなかたちで事件が発生するのかを考慮し、付き合っていかなければならないと感じました。

 

最後にこの事件とは関係ありませんが、酔うと毎回タクシー内で嘔吐したり、トイレを我慢できなかったりして、乗車拒否され逆切れなんてする人も、世の中には存在するようですが、人様の迷惑にならないような飲み方を心がけてほしいですね。

 

おわり