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文学白熱教室 カズオ・イシグロの世界

 

金木犀の香りが漂う季節になりました。世間はすっかり秋めき、何もない夜には大きな月明かりの下で読書なんかしたくなる今日この頃。毎晩「なにかしら読んでいるよ」「もっと深い話が読みたいなぁ」という方も多いのではないでしょうか。

 

そんな”読書の秋”真っ最中の現在、ある人物がノーベル文学賞を受賞したことで日本は賑わっています。その人物の名は、日系イギリス人のカズオ・イシグロ

 

今回はそんな話題沸騰中のカズオ・イシグロさんがNHKの番組「文学白熱教室」に出演した際の講演の様子をまとめたものをご紹介します。

 

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【目次】

 

なぜ小説を読みたいと思うのか、なぜ書きたいと思うのか

人はなぜエッセイや歴史書、または科学の本などの「事実」ではない不確かなものを求めるのでしょうか。それについてイシグロさんは以下のように語っています。

※かなり要約した内容になります

 

「私が小説家になった経緯は、その生い立ちにあります。5歳まで長崎で暮らし、日本語を話し、畳がある普通の日本家屋に住んでいました。そして5歳で渡英してからはずっと、いつか日本に帰国するものだと思って生きてきました。イギリスでは日本に関する本を読み漁り、両親から日本の話を聞くことで自分の中の”日本”を膨らませていたのです。」

 

しかし、その後イシグロさんが日本に帰国することはありませんでした。

 

「大人になるに連れて、記憶と共に日本が薄らいでいきました。そこで22歳の頃、自分の頭に描いた”日本”を書いてみることにしたのです。この時、私は現実の日本をリサーチする気もなく、自分で秘密裏に残していた個人的でかけがえのない”日本”を書き記したかった。それが、私が小説を書きだした動機でした。」

 

イシグロさんにとって小説とは、自分の中の記憶を安全に保存する方法だったと言います。子どもの頃の薄らいでいく記憶の保存。それがまさに、イシグロさんが小説家になったきっかけになりました。

普遍的なものを描く作家でありたい

イシグロさんのデビュー作「遠い山なみの光」は、そんな幼少期から抱く”想像の中にある日本”そのものでした。続く2作目の「浮世の画家」でも同じように”私の中の日本”を描きました。これらの作品は欧米でたくさん読まれ、イシグロさんも注目されました。しかし、当時日本はまだ現在のように世界に広く知られてはおらず、西洋人にとってカズオ・イシグロの小説は大変エキゾチックなものでした。そのため、イシグロさんが描いた”日本”は普遍的なものであったのにも関わらず、世間からは”リアルな日本人のマインド”だと誤解されてしまったのです。

 

「舞台を日本でないものにしても、読者は受け入れるのだろうか。」

 

そこでイシグロさんが書いたのが、後に映画化もされ有名になった3作目「日の名残り」です。

 

「舞台はイギリス。内容は”浮世の画家”とほぼ同じ、設定がイギリスというだけです。」

 

この作品でイシグロさんはブッカー賞をとり、小説家としての地位を手に入れます。

 

「上手くいったと思いました。舞台はどこでも認められる。」

 

しかしその一方で、いざジャンルも時代も舞台も自由に書けるとなると、どこに焦点を当てたらいいのか迷ってしまうという負担が出てくるようになりました。この悩みはここ20年ほどずっとつきまとっているそうです。それでも、イシグロさんが描きたいのは普遍的な世界であり、実際に経験したことよりも「感覚」を伝える作家でありたいことから、この感情や情景を自らで作り出せるフィクションに拘り、追い続けているそうです。

小説の価値

「小説の価値は表面にあるわけではありません。歴史書の時代を変えてもいいとしたら、おかしくなるし、それは許されないことです。しかし、小説ではそれは可能です。小説の価値はもっと奥深いところにあるのです。どの時代に設定したらストーリーが最も生きるのか。例えば”わたしを離さないで”は舞台を3回も変えました。小説の中は自分たちのことと似ています。歴史上の出来事とは違っていても、倫理上の繋がりは同じです。」

 

人はそれがフィクションだと分かっていても、それを求めます。よく大河ドラマなどで史実に基づいた内容であるから興味深いと視聴する人も、どこかで求めているのは登場人物の魅力的である内面だったり「こういう人であってほしい」「こういう流れであってほしい」という理想や願望です。そしてそれらを、吸収し、自らのマインドに重ね満足しています。フィクションとは、異なる世界をつくることで、この世界に入ることで私たちは様々なことを思い起こすのです。

 

「実生活の中で生まれる多くは、すべて創造から生まれたことです。多くの文明の力は、まずは創造から来ていて、私たちはどこかで異なる世界へ行ってみたいと思っています。現実とは違っていていい。こんなことができるのはフィクションだけ。人はフィクションを必要としているのです。」

 

つまり人が無意識にフィクションを求めるのは「本能」なのでしょうね。こうして誰かの話を聞いたり、自分で文を書いたりするのも欲求であり、生きる力だとも言えます。

記憶を通じて語る

「フィクションで使われる方法のひとつに”記憶を通じて語る”という手法があります。これはテレビドラマや映画では使えない、紙の上でしか描くことのできないものです。読者も小説を読まないとコレを体験できません。」

 

イシグロさんは、小説は筋書きや時系列に固執せずに、語り手の内なる考えや関係性を表せることが魅力だと言います。例えばジャーナリストが信頼できないことを伝えたら大問題になりますが、それが小説であればフィクションであるほど面白くなると言います。これはイシグロさんが先ほどもお話されましたが、具体的に説明すると、小説で「信頼できないこと」は良いツールになるということです。イシグロさんいわく、人間の記憶とは不愉快なものを消したり、良いことは誇張したりと、歪められたものであるそうです。この場合自分はどう思うだろうか、どうあればいいか、そこからわき上がる想像でストーリーは生まれてくるのが小説であり、フィクションこそが小説の進行役となるのです。

フィクションの中にある真実を求める

「価値ある小説には何らかの”真実”があります。私はその真実を伝えるために物語を作っています。真実とは現実の事象とは違っても、人間として感じるものにあります。事実では伝えられないことを表すのが小説なのです。」

 

人はフィクションの世界だけを求めているわけではありません。その異世界の中に見える真実を探し求めているのです。再び例を出して考えます。テーマが飢饉の時代とすると、ノンフィクションでは実際の状況(いつ・どこで・何が起こった)を伝えることはできますが、そこで誰がどう苦しんだのかを伝えるについては、その記録だけでは不十分です。そう、事実だけでは人々が「どう感じたか」を伝えることができないのです。しかし小説は違います。人々の知りたい欲求にこたえることが可能なのです。なぜなら、フィクションの中でもリアルな登場人物の訴えに心を動かせれ、共感することができるからです。

共感こそがすべて

イシグロさんは小説に娯楽以上の価値があると言います。

 

「私は小説で心情を伝えたい。私の気持ちを理解してくれるのか、この点を最も大切にしています。」

 

イシグロさんが小説に求めること、そして読者が小説にもとめること、それは共感イコール分かち合うことにあります。人は自分のおもいを共有したい、誰かと繋がりたい、安心したい、それを叶えてくれる材料が「小説」であり「フィクションの世界」なのでしょう。やはりすべては私たち人間の「本能」からきているのですね。

おわりに

とても面白いお話をたくさん聞けた講演でした。特に興味深かったのは「人間の記憶は歪められている」という点ですね。確かに私も何か物語を書くとしたら、記憶の通りストレートには描かないだろうと思います。当たり前の現実なんてものには、嫌気がさして別世界を求めるのですから、本の中では違うストーリーがあっていいじゃないかと、そこで新しい体験をした気持ちになってみようではないかと感じるでしょう。または、気になったまま終わってしまった過去や、叶わない理想、幼い頃の記憶、夢の中の続きなどは妄想の世界でしか完結できないので、それらを完結へと結び付けるにはやはりフィクションが必要ですね。社会的な題材もただ、現実だけを提示されても共感はできませんが、そこにいくつもの仕掛けを加えるだけで、もの凄く共感できるのだと思います。

 

私は博識でも、もの凄い読書家でもないので難しいことはまとめられませんが、この講演を見て感じたことを一言で表すなら「良かった。私だけではない。」です。

 

人間は少なからず空想をして、それを表には出さずとも都合よく脳内で処理をし、自分が安心できる情報を集め、刺激を得る。小さな記憶でも、鮮明でなくても、大切に残しておきたい感情もある。そんな秘密の宝を持つ人たちが他にもいて、同じものを分かち合いたいと思っているのかと思うと、何だかとても嬉しかったです。そして、こう思う時点で私はすでに他人に共感していますし、きっと知らない誰かにもこの出来事を共感してもらえたら、より嬉しいのだと思います。頭で考えることではなく、心で感じる「感覚」を共有できるから夢があるのでしょうね。

 

私もまだ出会ったことのない秘密の共有者と、思いっきり共感する人生を送りたいな、と感じた時間でした。

 

以上でおわりになります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

 

2015.7.17 放送 NHKEテレ)「文学白熱教室」

 

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